雨のち晴れ〜毒親→モラハラ→離婚→現在

刑事罰を受けて開き直るレベルの毒親の顔色を見ながら育った結果、20代半ばでモラハラ夫と結婚・離婚。不幸を生む人間関係を断舎離し、30代半ばで再婚した人のものの見方の変遷。

毒になる親

今冬初めて冬物のコート

おもしろいことや、笑わせること話したからえらいってことじゃないんだ。
「話がない!」って言ってた君が、話を見つけたことが、大切なんだよ。

窓ぎわのトットちゃん/黒柳徹子)

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今冬初めて冬物のコートを出しました。
暖かそうなデザインだけど安物なのでたいして暖かくないのですが…。
通勤電車では浮いててちょっと恥ずかしかったけど
帰りは夜、台風の影響で小雨もちらついていて、
コートがなかったら寒かっただろうなと心から思いました。

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そして診療所に行ってきました。

一週間の行動記録を見せたら
「自分の身体といい関係になれてきてるね」と言われました。

私「恥ずかしかったんですけど寒いと思ったので冬物のコートを着ました」
先生「それはそれだけ自分の体に気を配ってる人ってことだから恥ずかしがることなんて何もないです」
私「最も、他人は私のことなんか誰も気にしてないってことに気づいたからできたんですけど」

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そして先生に、前回出された漢方薬が凄く良かったという話をしたくて
それがどのように良かったかを伝えたくて

「なんといったらいいか…難しいんですが、
 何も飲んでないような感じがするんです。」と言ったら

「あなた本当にいい表現をするねぇ」
と言われた。

冒頭に引用したこととズレまくって
皮肉の領域に達しかけていますが…。

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褒められたことが嬉しくて詳しくは忘れたけど、
要は喉がつまってる感じなのを和らげる薬だから
あなたみたいな人にはいいでしょう的な感じのことを言われた。

この医師から表現を褒められるのは2回めで
「あなたは表現をした方がいい」と言われたのは、何度あったか…忘れてしまった。

自分が尊敬してる人から褒められるのは嬉しいもんだ。

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冒頭の引用文は、ちょっといい気になっている自分へのブレーキです。

 

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窓ぎわのトットちゃん

窓ぎわのトットちゃんを読み終えた。
随所で涙が溢れてたまらなかった。

トットちゃんを見守る大人たちの優しさ。

世間一般の学校のモノサシで見れば、普通の小学校を退学になるトットちゃんは問題児で
世間一般の親なら、モノサシからずれるトットちゃんを必死に矯正を強制(くだらないダジャレ)
するところだけど
 
トットちゃんを世の中に無理やり合わせるのではなく、
トットちゃんに一番相応しいやり方をいつも考えてくれる両親と
トモエ学園の校長先生のまなざし。

この世の中に悪い子や要らない子はいない。
親になっていい人間と、
なってはいけない(のになった)人間=毒親がいるだけ
改めてほんとうにそう思った。

著者黒柳徹子もあとがきで、
もしあの子供の頃問題児のレッテルを貼られてたら
どんな人生を送ったかわからない、凄く感謝していると書いていた。

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この話。

今までの私なら、
「ずるい!それに引き換えうちの親は!」「ずるい!私なんかそんな風に育ててもらえなかった」
「そんなの金持ちだけの話だ」「そんな風に育ててもらえなかったから私はもうダメだ」
とただただ怒っていたと思う。

それが、ただただ感動して、心を洗われた、そんな思いだった。

この自分の心の変化に一番、驚いた。

 

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亡き祖母の戸籍から発覚…祖父母は昭和20年代のデキ婚だった

祖母の四十九日の法要に行って来ました。

そこで、祖母の戸籍(手書き時代のもの)をみてびっくりしました。

なんと、祖父と祖母が入籍した日は、
父の生まれる数日前でした。

半年前とかじゃなく、本当に数日前です。
この平成20年代でさえ、それはちょっと普通じゃないなと思うのに
昭和20年代でその状況って、もう本当に異常なことだと思います。

ちなみに父は早産ではないと聞いています。 

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祖母は裕福な問屋の娘でした。
左官業かつ田舎者の祖父との恋愛結婚は
猛反対されていたとは聞いてましたが

それにしたってこの入籍日はおかしいと思いました。

しかも、よくよく戸籍を見てみると
結婚に猛反対したという、祖母の父は
私の父が生まれる3ヶ月前に既に亡くなっていました。
 
死者が
死後3ヶ月間に渡って
結婚に反対できるわけがありません。

「喪」という概念、宗教上の理由だったと仮定すると
正式に喪があけるのを待ったとしたら、親の喪だから1年待たなきゃいけなくなるし
せめて四十九日があけるまでまとうと思ったとしたら、せいぜい1ヶ月少々のはずです。

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臨月になるまで入籍しなかったor出来なかったのは、他に理由があるのではないか?
そう思ったとき、ひとつの仮説が浮かびました。

父を妊娠中すでに、祖父母の関係は事実上破綻していたのではないか?

上記は仮説ですが、少なくともかなりの確率で正しいと言えそうなのは
「入籍が出産の3日前という状況の夫婦では、まともに子育て出来る準備が整っている可能性は低い

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当時の真相を知る人は、全員死んでしまいました。 
なので、推測することしか出来ません。本当のところは何もわかりません。

しかし、私の家が毒親家庭になった理由、
もともと聡明だったはずの祖母が毒祖母になった原因の
片鱗のようなものに触れた気がしました。 

差別的発言になってしまいますが、やっぱり
女学校まで出て沢山の教養を身につけ、何不自由なく育った問屋の娘である祖母が

いくらかっこよくて一目惚れしたからといって、
左官業の家に生まれ、土方をやっていた祖父と
恋愛は出来ても、互いの期待値通りの家庭を築くのは
お互い、よほど、いろんな努力をしないと無理
だと思うのです。

そして、どんな努力をしたらいいのか
祖父に理解できたとは思えないのです。

上から下はよく見えるけど
下から上は全然見えないものです。


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ど田舎左官業の子沢山家庭に育った祖父から見れば、
自分としては最高の贅沢を祖母に与えたとしても
祖母から見たらそんなのは当然と見えるでしょう。

それに、金銭面だけでなく、教養的に見ても、
全く話が合わなかったであろうことは簡単に想像がつきます。

そして結局、現実として、祖父母は良い家庭を築けなかった。
そのしわ寄せが、子供である私の父にいった。

そして、その父がとんでもないモンスター毒父となり(毒父語録はこちら
私の人生の大事な幼少期にめちゃめちゃな価値観を植えつけた…

ああ、すべてはつながっている…なるべくしてこうなった…。
私が生まれる前から私は機能不全家庭に生まれることは確定していた
どうやってもこの流れを幼子が帰ることなんて無理だ。

この毒環境を振りきって自立して新しい家庭を作る
それ以外私にできる事は、ない。
他の人がどうであろうと、私は、毒親家庭に生まれた人間は、
自分の生まれた家庭に期待なんかしてはいけないんだ。
期待する分自分が傷つくだけだ。

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やっぱ結婚は大変ですね。
きっかけが惚れた好いたや妊娠であること自体は否定しないし、どうでもいいと思います。
しかしそこからの、表面上見えない努力、肩書きについてこない努力
…誰からも凄いといってもらえない褒めてもらえない話しあいとか調整とか
そういう
他社評価を軸に動く人が軽視しそうなことこそが
すっごく大事なんだなと改めて思いました。

この人と結婚していいの?
という本もありましたが、例えばこういう本を先に読んで努力したりする水面下の努力というか…
結婚や出産がゴールと思ってる人はかなりの確率で不幸になるんだろうな、と思いました。
私が結婚後苦労しているのも、結婚がゴールと思っていた口だったからだと感じています。
外面だけうまくやってる人達に現状をpgrされたりしますが、それでも
早く気付けて良かったと思います。
5年後10年後の幸せはどこにあるかな?と考えながら。



今日、自分の調子が良くモラ夫と喧嘩に成らなかった理由

何故か今日は調子がいい。
原因を考えてみました。

朝食を食べたから!

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モラ夫は、在宅勤務なのでずっと家にいます。
しかし、朝非常に弱く、全然起きて来ません。
しかも、何時に起きてくるか全くわかりません。

なので私は、モラ夫が起きてくる時間に合わせてブランチをとっていました。
モラ夫よりいつも3時間以上早く起きているにも関わらず、我慢していました。

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でも、冷静に考えたら
先に起きていて先に朝食をとって何が悪いんだろう?

私は、先に朝食をとったら、絶対モラ夫から非難されると思っていたのですが
それは毒実家の考え方であって、私たち夫婦の考え方ではない
気がしました。

実際、今朝も私が先に朝食をとったことについて
一切文句は言われませんでした。

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私の脳は、心は
毒親の創りだしたユダヤ人強制収容所の様な世界観から
まだ抜けだせ切れていない。。。

その事実を突きつけられたのも確かだけど、
思い切って行動できた
気持ちのよい朝でもありました。
 
8/1

毒親の家庭では、ユダヤ人強制収容所と同じ現象が起こっている

夜と霧を改めて読みました。

ユダヤ人強制収容所に収容された精神科医の体験を綴った手記です。
読み進めるほど、私が体験した毒親の機能不全家庭そのものでした。

・論理的な話が通じない支配者(毒親)による、非合理的な状態の強制
・精神的活動の重要性
・収容者(子供)にとって肉体的苦痛よりも、精神的罵倒がこたえる

ということが書いてあって、
改めて、自分が過ごした家庭がひどいと
特に、精神的な面でユダヤ人強制収容所レベルと本質的に同じだと気づいて、
なんて酷い半生だったんだ!と落ち込んでいる自分と、
これ以上落ちることはないなと不思議と安堵している自分がいました。

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その夜と霧の中からひとつ、救いになる言葉を抜粋します。

ふつう五年、あるいは十年経ってはじめて、
人生なにが幸いするか禍するかがわかるものだ。

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今夫のモラハラに苦しまれている方もいると思います。
ほかの夫婦がうまくいっているように見えて、なんで自分だけうまくいかないのかと
思われている方も多いと思います。

私も、よその夫婦を見ていて、いろいろ思っていたのですが
上記抜粋の言葉を見て

表面的な幸せを手にするのは簡単だけど
5年10年経ってそれはどうなっているかなんてわからない。

そう思うと同時に、

5年10年先の幸せの為に今自分は確実に努力をしている。
たとえ、表面的にどう見えたって関係ない。
表面的な幸せだけ追っている人の5年後10年後なんてどうせきっと(以下自粛)

…こうも思えるのでした。

とても良い本でした。視座を変えることが出来ました。勇気が出ました。

  

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※著者は、上記抜粋のセリフについて、強制収容所に入って打ち砕かれた概念だと
 言っています。 しかし私は、強制収容所レベルの状態にならない限りでは
 正しいかなと思え、勇気をもらったので、著者には不本意なことかもしれませんが、抜粋しました。
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