毒親育ち→モラハラ離婚→出産

刑事罰を受けて開き直るレベルの毒親の顔色を見ながら育った結果、20代半ばで誰が見ても地雷なモラハラ夫と結婚・離婚。不幸になる人間関係を断舎離し、30代半ばで再婚、30代後半で第一子出産。渦中の頃の気持ちから、過去の自分に言いたいことまでの記録。

モラルハラスメント

怒られるうちが花(愛情の反対は無関心)

夫から怒鳴られることが無くなりました。
暴言も無くなりました。

ほっとしつつ、
ふと「怒られるうちが花」という言葉を思い出しました。

夫は、私に対して期待していた部分があった
だから怒っていたんだなと。 

心を許していた
だから無防備な姿を見せたんだなと。

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何も言わないということは
期待は無いのだなと思いました。 

愛情って難しいですね。 

完全な緑色の芝を求め、走り続けた少女の感性

子供の頃、公園に行って芝生を見て
遠くの方は緑色で綺麗なのに自分の足元の芝は茶色いのが嫌だった。

どこまで行けば綺麗な緑色の芝生になるのかと思い
「あの木の下まで行ってみよう」と走ってみても
どこもかしこも、近くまで来ると、茶色いのだ。

 遠くから見たら、緑色だったのに!
 ちゃんとこの木の下って目印にしたから、
 絶対緑色だったはずなのに!

遠くからみたら緑色だったのに
目の前の茶色いという現実に対し納得出来ない。

なんで?どうして?という思いばかりが残った。

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「こことは違う綺麗なところが存在するはずだ」

と、ありもしないものをずっと探し求める癖は
子供の頃から変わらないのかもしれない。

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「親とは今分かり合えなくても、いつか分かり合える日が来る」

或いは
 
「私は分かり合えてないけど、分かり合えてる親子というものが存在するはず」

と、ずーっと思っていた。

遠くの芝は緑色なのに近くの芝は緑色であるという現象に対し、
いまだに科学的な説明ができない私の夢見がちな感性は
あのとき遠くの芝を見つめていた少女のまま、止まっているのかもしれない。

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人と分かり合うということは
「この人は理解できない」
「人から完璧な同意など得られるはずがない」
「相手は私と違う」
という現実を分かること…

つまり、芝生は茶色い、緑色じゃないという現実を 

私が生まれたとき記念植樹した梅の花

数年前から、母に何度か
「お前が生まれたときに植えた梅の木にやっと花が咲いた」 
と言われていた。

だけど私はその木を見なかった。
庭の何処にあるのかすら、知ろうとしなかった。

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今回実家に帰ったとき、また母に梅の話をされた。
「その木はどこ?」私は初めて母に聞いた。

初めてその存在を確かめて愕然とした。
あまりにも戸の目の前、どう考えても常に視界に入るような
目立つ場所に植えてあったからだった。

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30歩もあるけば一周できる位狭い庭なのに、
どうして場所を確かめようとさえしなかったんだろう。

興味が無かった?
見たくなかった?

自分は親から愛されなかったという不幸物語に
一貫性を持たせるために、邪魔だった??

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母「妹が生まれたときにも植えたけど、それはじいちゃんに伐られてショックだった」
私「なんで伐られた?」
「多分場所忘れとったんやろう。」

祖父に悪意はなかったと思う。

ここでふと思った。
そういえば昔私は、祖父が妹の事ばかり可愛がると言って泣いた。
もしこの木の伐採エピソードが逆だったら、
「やっぱり祖父は私のことが嫌いだったんだ」と
かわいそう伝説を強化していた、そんな気がする。

---

私「なんで梅の木を植えたの?」
母「出生届を出した時に役所からもらった」
私「○○藩の家紋だから梅なんかなぁ」
母「いや、いくつか選択肢があって、その中から私が選んだ」

母が選んでくれたという事実が、なんだか嬉しかった。

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存外たくましい太い枝を見て、時の経過を感じた。
梅の木は、ビニールテープで引っ張られて固定されていた。
母に「このヒモ、なんで?」と聞いたら
「こっち側にくると洗濯物にぶつかるから」
とのこと。

梅は自由に生えていたいし、生える力もある。
しかし、親からみて「そこは邪魔」という理由で、
伸びる方向を変えられている。
親に悪気はない。

なんだか自分みたい、そう思った。

そして視線をずらすと、蕾が数個ついた枝が
折れて皮1枚でぶらーんと垂れ下がっているのを発見した。

私「折れとる…」
母「あれ?なんで」

多分母くらいしかそこは通らないから母の仕業だと思ったけど
母は今気づいたことを強調していた。

しかし私は母を責めなかった。
普段から庭の手入れしてくれてるのが母だから確率的に母のせいになるんだと思った。
折れた原因などどうでもいいし。ただ折れてるという事実を見て

なんだか自分みたい、そう思って、折れた枝を水にさした。

---

水にさした翌日、早速一つの蕾が花開いた。

「折れとった枝なんに。部屋の中は暖かいからかなぁ。」と私は言った。
母は「そうやけど水にささんと咲かんわ」と言った。

一旦ポッキリ折れたところから
環境を変えたことによって回復していく姿が

なんだか自分みたい、と思った。

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その翌日は私が実家を発つ日だった。
もう一つの蕾が開いた。


なんだか自分みたい、と元気をもらった。2013-02-10 018

ネットサーフィンで気になった単語ひたすらコピペ(3)

引用元:http://www.556health.com/ 

■動機

人の動機には、
・喜びに向かう動機
・痛みから逃げる動機
の二種類がある

本当に自分のしたいことが分からなくなるときというのは、後者

「どんな痛みから逃げたいと感じているのだろう?」
「どんな葛藤が、そこにあるのだろう?」

・痛みから逃げたいという動機と、
・別の痛みから逃げたいという動機の間で、
板挟み

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■痛みから逃げる

幼少期の孤独感を癒やす方法も分からず、恋愛に逃げ込んでいて、
新しく誰かと交際開始したときの高揚感・ラブラブ感があるときだけ、なんとか少し楽になれる、
浮気の恋愛をやめて孤独感という痛みと向き合うのは、いやだ。

でも、このまま浮気を続ければ、一番自分のことを分かってくれている本命の彼女を失うことになる。
それも、いやだ。

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■あなたのために
 
松下幸之助「客の好むものを売るな、客のためになるものを売れ」
→「夫の望むことをするな、夫のためになることをせよ」

相手の望みに反したことをしようというとき
人間の成長について、よくよく知っておかなければなりません。
ガミガミ言われたら成長するのか?
それとも愛に触れたときに成長するのか?
愛とは何か?
よくよく突き詰めて考えていないと、「夫の成長のために、私はこの行動をとる」と、自信を持って言えないと思います。

他人に対して影響力を発揮しようという場合には、責任も伴う
しっかり考え抜くという努力も必要

---

■何をしたらいいのか

教科書的な解答は、ない

必死で知恵を絞って、あらゆる心理学の知識を総動員し、あらゆる経験を総動員し、
頼れる味方は全て頼って、そうやって、なんとか、まあやってみようかと思える解決策が出てくるくらいの感覚。

考え抜かずに、安易な手段を使うと、ドツボにはまる

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■無意識

無意識の働きで大事なのは、感情と信念です。
自分が気づかずに持っている信念に責任を持つこと。
自分の感情に責任を持つ

自分と違う感じ方、考え方の相手には、接し方も変える必要があると気づくことができます。

無意識の中に持っているものは、必ず、日常的に、行動や言葉の端々ににじみ出ているものです。

・表情
・声のトーン
・反応する話題とスルーする話題
・ストレスがかかったときに取りがちな行動
・絶対に着ない服
・人間関係における「天敵」
・恋愛のパターン

などなど。

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■暴言について 

相手の暴言で傷ついたとしても、傷ついたと感じている、自分の感情には自分で責任を持つということ。
感情にまかせて反撃したり、感情的で極端な行動に出たり(家出とか)して、不利益を被ったとして、
それは結局、自分の責任だということです。

いま自分が感じていない【無意識の中に抑圧している感情】にも責任を持つ、ということです。

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■夫の性格?

あるいは、自分に自信がない(無価値感)を強く持っているが、
人一倍頑張ることでそれを埋め合わせようとしている(=その感情にフタをしようとしている)人が
職場のマネージャーになって、部下たちを指導することになると、

いつのまにか、その人の持っている
「頑張らない人には存在価値はない」という無価値感(これは感情と信念が複合したものですが)が
その部署全体に広がっていき、メンタルな耐性が低い人から脱落して、
病気になったり職場を辞めたりします。

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■自分の性格

・私はいつもモラハラっぽい彼と付き合ってしまう
 →これを
  →私の中に、モラハラされる要素がある、それを見つめよう。
   →とやると、ますます自己否定になりやすいので、
    →私は、自分の望みを、恋愛が始まる前から表現しているだろうか?
    →私は、自分の存在価値を、自分で肯定しているだろうか?
     (自分に自信があるだろうか


1年前に起きた嫌なことが、感情と共に生々しく思い出せる人は、
感情の記憶力が高い人で-女性に多いのですが-そのような人は、
心理療法によって過去の感情を解放し、かつ、過去に足りなかった喜びを補っていく取り組みが有効


また、女性の側のコミュニケーションの問題もあります。
女性はよく、彼氏や旦那さんに「話し合いをしよう」と持ちかけ、相手から怖がられます。
なぜそうなるかというと、女性は自分の気持ちをどんどん話すからです。
嫌だったことなどをどんどん話す。
女性同士だと、そうか、あんたはそう感じたんだね、って感じでお互いに気持ちを確認し合えるのですが、
女性慣れしていない男性は特に、女性から不満の気持ちなどを話されると、

自分が責められているように感じてしまう

のです。

周りが全部敵で、自分しか頼れるものがいない。
そこで非を認めたら裁かれてしまう。そんな状況下では、自分の非は絶対に認められないはずです。

自分の非を認め、謝れるのは、周りにいるのが「味方」だと感じているときです。

彼自身の考え方、感じ方の問題もあるのだと思いますが、
怒っているときのあなたは、彼にとって「敵」に見えているのかもしれません。

「男性は、女性の不満や、ネガティブな感情を『自分が責められている』と捉えやすい」
ということを知っていれば、
「あなたを責めている訳じゃないけど」とか「話を聞いてくれるだけで楽になるんだけど」など、
有効な前置き
をおくこともできるはずです。

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■世界観

自分は、世界(他人)に対して、基本的に信頼できる、という感覚、
つまり「よいワールドイメージ(基本的信頼)」を持っていると思うか?

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■罪悪感

無邪気な愛+過酷な状況 → 罪悪感

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■ストレスの測り方

・自分の苦手な行動で見る
例)メールの返信がおっくうになったり
  机の上が散らかったり
ストレス度が高まると、自分の苦手な行動から、うまくできなくなります。
自分なりに「メールの返信がイヤになったら、ストレス度が高まっているかも」などの指標を作っておけると、
自分を知ることができます。

・自分の見ている景色で決める
元気なときは、朝「行ってきます」を言い、家族の方を振り返って家を出るけれど、
気になることがいっぱいの時は振り向かずに行ってしまう。
そういうパターンがあるなら、家を出たときに見ている景色が、後ろを振り返った、家の様子なのか、
前を向いている駅の方向の景色なのか、自分に見えている景色に違いがあるはずです。
あるいは、空を見ていることが多いとか、地面を見ていることが多いとか、
無意識に行動が変わっていれば、当然見ている景色も変わるわけですから、
気づこうと思えば気づけるはずです。

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■相手は変えられない

「相手は変えられない」という言い方には、「自分が悪い」というニュアンスがつきまといます。

人間関係には、お互いのメンタル体力の状態と、置かれている経済状況、人間関係の状況を考慮すると、
その関係に未来はないという関係があると私は考えています。

この中で特に、
①お互いが相手との関係を修復するための「意欲」を持ち
②継続的に解決のための行動をするための「メンタル体力」を持っている
ことが大事だと考えます。

それがないとき、それは、方程式で言えば「解なし」に相当する状態です。
二人が一緒にいても幸せにはなれない、手放した方がいい、そういう状態もあり得る

お互いに、自分は依存したいけれど、相手に愛情を注ぐなんて出来ないという状態に陥っているんですね。
=解決のための意欲も、メンタル体力も失われている状態

相手に80%原因があっても、本当にほしい結果があるのなら、自ら行動を起こしてみることが大切なのです。
×感情的に行動して、あとで後悔する
○本当にほしい結果に向けて、現実主義になって行動する

でも、これを受け入れるためには、
お互いに意欲がなくて、メンタル体力も失われているとき、この関係は「解なし」になっている。
あとは壊れるだけになってしまう、そういう可能性もあるという、

一種の「あきらめ」を受け入れる必要があります。
ここが難しい。

相手を責めながら、まだ希望があるはずだと思い続ける方が、そのときはむしろ楽

・二人とも関係修復に向けて相手に愛情を注ぐ行動が出来ないのであれば「解なし」
・夫は関係修復に向けての積極的努力をする様子がない(本心は分からないが)
すると、
・妻が行動を変えて頑張ってみるか、あきらめて別れるかしかない
という結論に。

その際に、どういう「心構え」「とらえ方」で取り組むのか、が大事なのですが、

×「私が悪いから、私が努力しなくてはいけない」
これでは、夫だけを免罪していて、とても正当な現状認識とは言えません。

○「浮気という行為は100%夫の責任。夫婦関係のすき間は二人の責任。」
こう考えることが大事ですね。そして、

○「確かに夫の方が責任は大きいけれど、今は問題に向き合う気力がない。
  だから、サポートできる私の方が、先に行動を起こそう。」
つまり、自分が悪くなくても、問題の解決のために立ち上がろうという発想です。
この気持ちになれるかどうかが、大事なのです。

相手が関係の改善のための行動を起こす気がないとき、
こちらも関係の改善のための行動を起こさないとしたら、

あとは自動的に、関係修復の方程式は「解なし」になってしまいます。

自分だけが行動を起こすのは、本当に苦しいものですが、
関係を終わらせてしまって本当によいのか、一度本気で悩んでみて、
もしも、バッサリ斬ってしまうことを良しとしないのであれば、
問題解決のために立ち上がろうという発想を持ってみてほしいと思います。


もちろん、やはり自分には荷が重すぎた、ということも-とても残念なことですが-あります。
だから、別れを選ぶこともまた、立派な選択肢のひとつだと思うのです。
修復と別れと、どちらが格上か、格下か、ということはないと思っています。

自分の中に基準や軸がなくて、思考停止し、相手任せにしたことを「信じる」と勘違いしていることがあります。
でも、何かことが起こったときに「裏切られた」と言うなら、
それは自分の決断に責任を持っていなかったということです。

そう信じるためには、相手が「自分の中に軸を持っている段階まで成長している」ことを
見抜ける必要があります。
なぜなら、自分の中に軸を持っていない、他人の顔色をうかがっているだけの段階(中期の自我)の人は、
そういったトラブルを起こしがちだからです。

自分を大切にすることと、相手に期待通りの反応を押しつけることは、全く違います。
自分を大切にするというのは、自分で自分を大切にすること。
相手の反応が悪くても、いちいち不機嫌にならないのが、本当に自分を大切にしている人です。

【自分で】自分を大切に出来るようになると、
他人に無言の圧力をかけて、自分を承認してもらう必要がなくなります

すると、「一緒にいて疲れる人」の汚名は返上、ということになります。

夫婦関係を良好に保つためには、
「相手の状況も含め、問題を客観的に見る、視野の広さ」
「問題を放置しないという、建設的思考」
「相手を責めずに、現在の問題を表現する伝え方」
「辛い状況があっても、落ち着いて対処する忍耐力」
「どんなことがあっても仲間割れしない、相手を信頼する、という信じる力」
などの能力が求められます。

自分の辛い感情を自分で受け止められず、パニックになり、相手に責任を押しつけたり、
逆に、
建設的に解決することをあきらめて、相手と問題意識を共有することもあきらめて、
(つまり相手を信頼せず)自分だけが我慢する道を選んでしまったりすることは、

結果として問題を放置して、解決せずに放っておくことを意味します。

ゴミが入っている自転車には次々とゴミが投げ入れられたそうです。
実際の人間関係でもそういう部分があるように思います。
自虐的だったり自分に対して投げやりだったりする人のことを大切にしたいと思う人は中々いません。

 ・他人がしてくれた親身なアドバイスを、実践しない。
 ・自分の生きている環境をよくするための前向きの努力がない。
 ・投げやりに生きているように見える。
 ・他人から何かをしてもらっても、嬉しそうじゃない。
 ・感謝の気持ちが薄い。

 こういう人は、中々人から大切にされにくいです。

 逆に、
 ・自分の人生を良くするためにコツコツと努力し
 ・他人の親身なアドバイスを聞き
 ・前向きで
 ・他人から何かをしてもらうと嬉しそうで
 ・感謝の気持ちが強い

 そんな人のことなら思いきり応援したい人が多いと思います。

自分の人生というカゴをキレイにしておき、素敵なものを受け取れるようにしておくのか、
それとも、自分の人生というカゴに自分でゴミを入れ、結果的に他人からもゴミを捨てられてしまうのか、
それは自分の心がけ次第といえます。

うまく行く人はね、今日よりちょっぴり良い明日のために、ちょっとだけ努力する。
その積み重ねが、良い人生を作る。それを地道にやってるんです。

---

■親の一番の問題点
ひょっとして、あなたを育ててくれた親御さんは、
「自分の幸せのために、自分で努力する」ことが出来ない人だったかもしれませんね。

自分が不幸であることをアピールして相手を責める、みたいな。
嫌なら自分で何とかすればいいのに、周りのせいにする。
このクセ、親から受け継ぐと一番しんどいんだよね。
自力で生きる力がつかないから。

大変でしたね。そんな中でよく頑張って育ってきましたね。

人生って、思い通りに進まないことが多いものです。特に、自分の思いこみが激しいうちはそうです。

親との関係がうまく行かなかったから、トラウマを抱えていて、私の人生はうまく行かない。
確かにそれも一部かもしれません。

でも、一番の問題は、あなたの親御さんが「自分の幸せのために自分で努力する」という
人生の大原則を身をもって教えてくれなかったことじゃない?

今からでも、「自分の幸せのために自分で努力する」というその原則を覚えることが最大の解決策ですよ。

今感じる「やりたいこと」の中には、幸せにつながる「心から好きなこと」と、
依存症を悪化させてゆく「自分自身から目をそらすための逃げ」とがあります。

心の変化に時間がかかる

「私がほしいのは優しい言葉や愛情で、仕事ばかりするのは、冷たい!」みたいになるわけです。
考えてみると「私のほしいものを、私の思い通りに差し出してくれないなら、受け取らない!」という姿勢なので
結構わがままです。

この発想をしている限り、相手の愛情に気づかず、自分が損をしているわけです。

×相手に100%合わせなさい
○相手の心をくみ取って感謝しましょう


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■今の状態

心の中に蓄積した怒りが彼の行動をきっかけに出てきたに過ぎないんです。
もっと言えば、お父さんに対する怒りを彼にぶつけたということ。
感情の借金を彼に肩代わりさせた、みたいなことです。

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■別れを選ぶ場合

あなたの忍耐力と愛情の限界を超えるほど、相手の心の傷、心の問題が深い場合です。
この場合、やはり別れを選択するしかないでしょう。
別れることは悪いことではありません。
できる限りのことをしたけれど、やはり自分には支えきれない、
そう思ったときには別れを選択することも大切なことです。

その時には、別れる相手のことを「ひどい人、悪い人、ダメな人」と捉えるのではなく、
「私が支えきれないほど、心に重荷を抱えている人」と思ってあげてほしい

自分の中に善悪の基準とか、行動の規範とか、そういったものが内在化できず、常に相手の顔色伺いの中で生きている人は、実は大人でありながら、中期の自我から先に成長していない、ということになります。

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■回復法

幸せなことを100個書いてみましょう

たいしたことじゃなくていいんです。
大事なことは、幸せなことに視点を移すことです。

悩んでいるときって、24時間、嫌なことを考えているんです。
嫌なことを言われたのは一瞬でも、心の中で、繰り返し、繰り返し、ビデオを再生しているんです。
嫌なビデオをね。

そうじゃなくって、幸せなことについて考えるようなくせをつければ、嫌なことがあってもそれは一瞬。
の瞬間からは幸せなことについて考えていれば、暗くならないですみます。

ろくすっぽ見ようとしなかった実家(3)竜宮城で考えること

そういえばいつ頃からか、だいぶ前から
毎日毎日、心の何処かで
「早く時間が過ぎないかな」とばかり
考えていたような気がする。

特に実家に帰ってきても、いつも東京に戻りたい一心だった。
家の問題や自分自身の問題と向き合えてなかったからだったと思う。

---

こんなに
1分1秒を「惜しい」そう思えたのは
いつ以来だろう。

いつも、バイトとか、仕事とか、夫と喧嘩したりして
「早く時間よ過ぎてくれ」「早く時が過ぎて夜よ来い、私は惰眠を貪りたい」
そう思いながら過ごした時と同じ、1分1秒なのに。

---

最も、衣食住が保証されて
無条件に受け入れてくれる実家は
非常に居心地が良いのは当然で。

しかし、大の大人が
いつまでもこんなことで済むはずがない。

ここは、竜宮城だ。 

---
 
とりあえず私の無意識は、自分の「直前まで逃げ続ける」という姿勢が問題だと感じ、
そこから改めようと考えたみたいだ。

いつもなら「折角いま実家にいるんだから先のことは考えない。戻ってから考える」と
してたと思う。

考えない方向で進めて、いざ直面してからの瞬発力でなんとかして、
結果疲れきってしまう、ということを繰り返していたと思う。

それを、少しずつ前倒しで考え行動することによって
後のショックを和らげている感じだ。

本当に和らいだかどうかは、明日考えよう。



私もしかして、明日に前向きになれてる?

---

これを書きながら、鳥の鼻息が聞こえてくる
それが嬉しい。
なんだろう、私は一人じゃないんだって、そう思えて嬉しい。

家族ってこういうことなんだよな、本当は。

魚でいいからペット飼おうかな。 
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