雨のち晴れ〜毒親→モラハラ→離婚→現在

刑事罰を受けて開き直るレベルの毒親の顔色を見ながら育った結果、20代半ばでモラハラ夫と結婚・離婚。不幸を生む人間関係を断舎離し、30代半ばで再婚した人のものの見方の変遷。

死に向かう日記

機嫌取りに気づいた=共依存への気付き?

これまでの自分の人生選択が
大概、誰かの機嫌取りばっかりだったことに気づいた

ということは

共依存状態に気づいた 

ということかな?

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そして、自分の我慢にも気づき
もうこれ以上我慢できないということにも気づいた

とき、既に30歳になっていた。

なんということだ
女としていちばん輝いている時期を
全部誰かのご機嫌取りに費やしてしまって
今の自分はカラッカラのペランペランだ。

気づいてしまったら、あまりの惨めさに死にたくなる。
けど、我慢を続けてもきっと死にたくなったと思う。

さて今日は、親族に挨拶に行く日です。
なんのため?自分の見てきた事実と、それを受けた自分の意思の報告です。

  

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モラ妻が死にたくなった時、思いとどまる方法

あくまで私の場合、ですが

モラ夫以外の人間および自然と接することです。 

晴れの日は外を歩くのがいちばんです。
空を見上げたり、通りゆく人の波の一分になったりすると
孤独感が薄れます。

雨の日は、自殺相談ダイヤルがいちばんですが、
少し落ち着いたら、郵便局とかのお問い合わせセンターだって
かまいません。 
日頃から、疑問に思うことをためておけばOKです。 

生きるって辛い
こんなにまでして
他の生き物を殺して
人の厄介になって
それでも生きる価値を自分に見いだせないから
辛いんだって

頭では理解してるのに
いまなすすべがない。

  

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臓器移植提供意思「あり」に考えが変わった理由

読んでいた本にたまたま臓器移植の話が出てきたので書きます。

私は、従来臓器移植には反対で、
あえて「提供しない」というドナーカードを持っていました。

まず第一に、脳死は人の死じゃないと思っていました。
脳が生きているのだから多分、
臓器をとられたら文字通り断末魔の痛みがある
でも叫べない、どうすることもできないのではないかという
懸念からでした。 

第二に、実際親族の葬式に参列して
遺体の綺麗さは大事だなと思ったからです。
目玉が切り取られてたりしたらホラーだと思いました。
(義眼みたいなの入れるとは思いますが)

しかし、考えが変わり、今では保険証の裏側に
眼球以外提供の意思があると記載しています。
麻酔希望と書いた上で。

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私のような何の役にも奴でも最後に 
誰かの役に立てるのなら

この病んだ脳から離れて
誰かの体の一部として生きられるのなら 
そんなに嬉しいことはない
と思ったからでした。

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生きているうちにやっておくべきことを整理し始めると

死ぬことを考えると
自ずと死ぬ前にすべきことを考える。

やっぱり子どもを産まなければ死ねない、そう思った。
次の瞬間、20代で、というのが過ぎてるからもう意味ないしやっぱいいや、と思った。 
しかし仮に、子供を産んだらこの子を育てたいと生きたくなるのだろうか。
こんな、いないほうがいいのが明らかな病んだ母親でも。
子供ってのは無条件にお母さんが大好きなものだ。

ああ、
だから私は子供が欲しいのか、と恐ろしくなった。
この世で私のことを肯定してくれる人が誰一人いないから
自分を無条件に愛してくれる存在を作ろうとしてるだけなのではないか。
なんて偽善的な。
なんて独善的な。 

それか、自分の人生投げてしまって
なにも残らないと気づいて、
自分が生きた証を残そうと焦っているのか

いずれにせよ、独善的だ。
子供の為なんて何も考えちゃいない。

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いま首に巻いてるこのストール
締め上げれば数分後に私の身体は活動を停止するだろう

生と死なんて
ほんの少しの違いだけ

生きることを選択するということは
欲しいものが手に入らない苦しみと
生きながらえることで直面する苦しみを
秤にかけることなのかもしれない。

つらい。 

  

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私が心だら夫はどう思うか?

「迷惑だ」と思うと思う。

だから、死ぬなら離婚した後のほうがいいと思う。 
ギャラリー
  • 「人間はだまし合わねば生きられませぬ」
  • 咲こうとする花の力
  • 私が生まれたとき記念植樹した梅の花