雨のち晴れ〜毒親→モラハラ→離婚→現在

刑事罰を受けて開き直るレベルの毒親の顔色を見ながら育った結果、20代半ばでモラハラ夫と結婚・離婚。不幸を生む人間関係を断舎離し、30代半ばで再婚した人のものの見方の変遷。

アダルトチャイルド

3ヶ月の家庭内別居を経て、まさかの夫と仲直り

しました。

詳細はこれから書いていこうと思いますが

私の場合は

①毒親によって歪められた認知が存在し
②それに対し無自覚であることが加わり
③そこに夫の暴言が乗ってきて
④私の精神が崩壊した

という構造になっています。

それを理解したということを説明したら
和解できました。

これから少しずつ、詳細書いていこうと思います。

回復した今だから分かる、ACと普通の人の思考過程と前提比較

昨日読んだ本2冊に、
全く正反対の事が書いてありました。

カウンセリングで何ができるか(信田さよ子)

 自分の経験の確かさが、かえってその人を
 経験から自由にさせてくれないという弊害を生む可能性
 →それよりは想像力を働かせることが大事

女が愛に向かいあうとき(永畑道子)

 体験から綴られる言葉の重さ

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○以前の私(毒親の毒が体中に蔓延した上に夫のモラハラで自信喪失が重なったアダルトチャイルド)なら

 「一体どちらが正しいんだ?」と、
 著者の経歴を見て、必死にどちらが正しいかを
 決めて、それを自分の意見にしていたと思います。

 ※前提となっている思考
 =どちらかが100%正しく、どちらかが100%間違い
 =自分が誰に従うか

○現在の私(毒親の毒が抜け、夫のことも気にせず、標準状態を取り戻した)なら

 へ~この人はそう思うんだ~

 と思い、

 どっちも一理あるな~、正しいな~、
 ていうか、前者は職業意識の本、後者は小説(随筆)だから
 こういう表現にもなるよな~

 ※前提となっている思考
 =別に白黒つける必要もないし、従う必要もない

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毒親はずーっと

・どちらかが100%正しく、どちらかが100%間違っている世界で生きてきて
・いつも強い方にヘコヘコ従って自分を持たず
・それを我が子にも強いて、我が子を自分に従わせることばかり必死に考えて
・それがいかにおかしなことか、気づいてない

と思うと、最初笑ってしまいました。
笑った後、滑稽を通り越して哀れだと思い始めました。

本当に私の代でこの狂った伝統芸能は
終われると、確信を持って感じられました。

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ただただ誰かの機嫌取りに費やしたこれまでの人生

こうして、自分の持ち物をみてみると
夫の機嫌取りに買ったものばっかりで驚く。

人生の進路は親の機嫌取りだったし。

自分の意志で買ったものなんて、ほんの一握り。

ばかみたいな人生。
自分の人生じゃなかったんだもん、簡単に自殺を思うのも当然。

自分の意志で買ったもの以外、全部捨ててしまえば
引越し荷物は意外と少ないのかも。

あれも、これも、イラナイ
弱かった私、バイバイ

完全な緑色の芝を求め、走り続けた少女の感性

子供の頃、公園に行って芝生を見て
遠くの方は緑色で綺麗なのに自分の足元の芝は茶色いのが嫌だった。

どこまで行けば綺麗な緑色の芝生になるのかと思い
「あの木の下まで行ってみよう」と走ってみても
どこもかしこも、近くまで来ると、茶色いのだ。

 遠くから見たら、緑色だったのに!
 ちゃんとこの木の下って目印にしたから、
 絶対緑色だったはずなのに!

遠くからみたら緑色だったのに
目の前の茶色いという現実に対し納得出来ない。

なんで?どうして?という思いばかりが残った。

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「こことは違う綺麗なところが存在するはずだ」

と、ありもしないものをずっと探し求める癖は
子供の頃から変わらないのかもしれない。

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「親とは今分かり合えなくても、いつか分かり合える日が来る」

或いは
 
「私は分かり合えてないけど、分かり合えてる親子というものが存在するはず」

と、ずーっと思っていた。

遠くの芝は緑色なのに近くの芝は緑色であるという現象に対し、
いまだに科学的な説明ができない私の夢見がちな感性は
あのとき遠くの芝を見つめていた少女のまま、止まっているのかもしれない。

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人と分かり合うということは
「この人は理解できない」
「人から完璧な同意など得られるはずがない」
「相手は私と違う」
という現実を分かること…

つまり、芝生は茶色い、緑色じゃないという現実を 

ろくすっぽ見ようとしなかった実家(2)粉飾の技術~木に登った豚

大学に受かって実家を離れ
それからずっと

私は

必死に背伸びして

必要以上に自分を大きく見せようとして

ずーっとずーっと、変に頑張ってきたなぁ

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そう

実際はこんな片田舎の下流家庭の生まれで
風呂に入れなくていじめにあい
「お前んち、いつ蔦はうんや」と言われるようなぼろ家に住んで

そんな情けない事実から、ずっと目を背けてきた。

 自分を大きく見せないと嫌われる
 見下される
 見捨てられる

そう思ってがむしゃらに

自分を大きく見せようとしていた
粉飾することに全身全霊を費やした、
そんな気がする。
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あれから11年の時が経ち

気がついたら、私は何も持ってなかった。
ただ年だけとっていた。

当り前だ、粉飾する技術しか磨かなかったのだから。

当り前だ、何事も直前まで「やだよ~やだよ~」って言って逃げ続け
その時が来てから慌てて瞬発力でなんとかしてたのだから。

当り前だ、都会に出ることが目標で、出てからのプランなんて無かったんだから。

当り前だ、結婚が目標で、
心のどこかで「結婚さえすればうまくいく」そう思っていたんだから。

つまり、楽に場をやり過ごすこと以外
考えてこなかったのだから。

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凄まじい虚無感だ。
でもこれが現実なんだ。

粉飾を繰り返して自分と向き合う勇気がないまま
60を過ぎ、金も、信頼も、何も無い、そんな父の姿を見て
いくら辛くても、一度気づいてしまった以上
現実から逃げてはいけない、そう思った。

しかし、一番努力すべき、基盤作りにすべき20代を
まるまる自分探しに費やしてしまったことは否めない。

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「分相応」
「小物は、小物なりに 」
 そんな言葉ばかりが頭をぐるぐる回る。 

「豚もおだてりゃ、木に登る」
…木に登った豚は、幸せだったのでしょうか。 

本当は降りたいのに、降りられない。
それでオロオロしてたら、枝が折れて…
 
そんなことばかり考えてしまいます。 
ギャラリー
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