雨のち晴れ〜毒親→モラハラ→離婚→現在

刑事罰を受けて開き直るレベルの毒親の顔色を見ながら育った結果、20代半ばでモラハラ夫と結婚・離婚。不幸を生む人間関係を断舎離し、30代半ばで再婚した人のものの見方の変遷。

機能不全家庭

亡き祖母の戸籍から発覚…祖父母は昭和20年代のデキ婚だった

祖母の四十九日の法要に行って来ました。

そこで、祖母の戸籍(手書き時代のもの)をみてびっくりしました。

なんと、祖父と祖母が入籍した日は、
父の生まれる数日前でした。

半年前とかじゃなく、本当に数日前です。
この平成20年代でさえ、それはちょっと普通じゃないなと思うのに
昭和20年代でその状況って、もう本当に異常なことだと思います。

ちなみに父は早産ではないと聞いています。 

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祖母は裕福な問屋の娘でした。
左官業かつ田舎者の祖父との恋愛結婚は
猛反対されていたとは聞いてましたが

それにしたってこの入籍日はおかしいと思いました。

しかも、よくよく戸籍を見てみると
結婚に猛反対したという、祖母の父は
私の父が生まれる3ヶ月前に既に亡くなっていました。
 
死者が
死後3ヶ月間に渡って
結婚に反対できるわけがありません。

「喪」という概念、宗教上の理由だったと仮定すると
正式に喪があけるのを待ったとしたら、親の喪だから1年待たなきゃいけなくなるし
せめて四十九日があけるまでまとうと思ったとしたら、せいぜい1ヶ月少々のはずです。

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臨月になるまで入籍しなかったor出来なかったのは、他に理由があるのではないか?
そう思ったとき、ひとつの仮説が浮かびました。

父を妊娠中すでに、祖父母の関係は事実上破綻していたのではないか?

上記は仮説ですが、少なくともかなりの確率で正しいと言えそうなのは
「入籍が出産の3日前という状況の夫婦では、まともに子育て出来る準備が整っている可能性は低い

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当時の真相を知る人は、全員死んでしまいました。 
なので、推測することしか出来ません。本当のところは何もわかりません。

しかし、私の家が毒親家庭になった理由、
もともと聡明だったはずの祖母が毒祖母になった原因の
片鱗のようなものに触れた気がしました。 

差別的発言になってしまいますが、やっぱり
女学校まで出て沢山の教養を身につけ、何不自由なく育った問屋の娘である祖母が

いくらかっこよくて一目惚れしたからといって、
左官業の家に生まれ、土方をやっていた祖父と
恋愛は出来ても、互いの期待値通りの家庭を築くのは
お互い、よほど、いろんな努力をしないと無理
だと思うのです。

そして、どんな努力をしたらいいのか
祖父に理解できたとは思えないのです。

上から下はよく見えるけど
下から上は全然見えないものです。


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ど田舎左官業の子沢山家庭に育った祖父から見れば、
自分としては最高の贅沢を祖母に与えたとしても
祖母から見たらそんなのは当然と見えるでしょう。

それに、金銭面だけでなく、教養的に見ても、
全く話が合わなかったであろうことは簡単に想像がつきます。

そして結局、現実として、祖父母は良い家庭を築けなかった。
そのしわ寄せが、子供である私の父にいった。

そして、その父がとんでもないモンスター毒父となり(毒父語録はこちら
私の人生の大事な幼少期にめちゃめちゃな価値観を植えつけた…

ああ、すべてはつながっている…なるべくしてこうなった…。
私が生まれる前から私は機能不全家庭に生まれることは確定していた
どうやってもこの流れを幼子が帰ることなんて無理だ。

この毒環境を振りきって自立して新しい家庭を作る
それ以外私にできる事は、ない。
他の人がどうであろうと、私は、毒親家庭に生まれた人間は、
自分の生まれた家庭に期待なんかしてはいけないんだ。
期待する分自分が傷つくだけだ。

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やっぱ結婚は大変ですね。
きっかけが惚れた好いたや妊娠であること自体は否定しないし、どうでもいいと思います。
しかしそこからの、表面上見えない努力、肩書きについてこない努力
…誰からも凄いといってもらえない褒めてもらえない話しあいとか調整とか
そういう
他社評価を軸に動く人が軽視しそうなことこそが
すっごく大事なんだなと改めて思いました。

この人と結婚していいの?
という本もありましたが、例えばこういう本を先に読んで努力したりする水面下の努力というか…
結婚や出産がゴールと思ってる人はかなりの確率で不幸になるんだろうな、と思いました。
私が結婚後苦労しているのも、結婚がゴールと思っていた口だったからだと感じています。
外面だけうまくやってる人達に現状をpgrされたりしますが、それでも
早く気付けて良かったと思います。
5年後10年後の幸せはどこにあるかな?と考えながら。



今日、自分の調子が良くモラ夫と喧嘩に成らなかった理由

何故か今日は調子がいい。
原因を考えてみました。

朝食を食べたから!

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モラ夫は、在宅勤務なのでずっと家にいます。
しかし、朝非常に弱く、全然起きて来ません。
しかも、何時に起きてくるか全くわかりません。

なので私は、モラ夫が起きてくる時間に合わせてブランチをとっていました。
モラ夫よりいつも3時間以上早く起きているにも関わらず、我慢していました。

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でも、冷静に考えたら
先に起きていて先に朝食をとって何が悪いんだろう?

私は、先に朝食をとったら、絶対モラ夫から非難されると思っていたのですが
それは毒実家の考え方であって、私たち夫婦の考え方ではない
気がしました。

実際、今朝も私が先に朝食をとったことについて
一切文句は言われませんでした。

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私の脳は、心は
毒親の創りだしたユダヤ人強制収容所の様な世界観から
まだ抜けだせ切れていない。。。

その事実を突きつけられたのも確かだけど、
思い切って行動できた
気持ちのよい朝でもありました。
 
8/1

私が生まれたとき記念植樹した梅の花

数年前から、母に何度か
「お前が生まれたときに植えた梅の木にやっと花が咲いた」 
と言われていた。

だけど私はその木を見なかった。
庭の何処にあるのかすら、知ろうとしなかった。

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今回実家に帰ったとき、また母に梅の話をされた。
「その木はどこ?」私は初めて母に聞いた。

初めてその存在を確かめて愕然とした。
あまりにも戸の目の前、どう考えても常に視界に入るような
目立つ場所に植えてあったからだった。

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30歩もあるけば一周できる位狭い庭なのに、
どうして場所を確かめようとさえしなかったんだろう。

興味が無かった?
見たくなかった?

自分は親から愛されなかったという不幸物語に
一貫性を持たせるために、邪魔だった??

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母「妹が生まれたときにも植えたけど、それはじいちゃんに伐られてショックだった」
私「なんで伐られた?」
「多分場所忘れとったんやろう。」

祖父に悪意はなかったと思う。

ここでふと思った。
そういえば昔私は、祖父が妹の事ばかり可愛がると言って泣いた。
もしこの木の伐採エピソードが逆だったら、
「やっぱり祖父は私のことが嫌いだったんだ」と
かわいそう伝説を強化していた、そんな気がする。

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私「なんで梅の木を植えたの?」
母「出生届を出した時に役所からもらった」
私「○○藩の家紋だから梅なんかなぁ」
母「いや、いくつか選択肢があって、その中から私が選んだ」

母が選んでくれたという事実が、なんだか嬉しかった。

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存外たくましい太い枝を見て、時の経過を感じた。
梅の木は、ビニールテープで引っ張られて固定されていた。
母に「このヒモ、なんで?」と聞いたら
「こっち側にくると洗濯物にぶつかるから」
とのこと。

梅は自由に生えていたいし、生える力もある。
しかし、親からみて「そこは邪魔」という理由で、
伸びる方向を変えられている。
親に悪気はない。

なんだか自分みたい、そう思った。

そして視線をずらすと、蕾が数個ついた枝が
折れて皮1枚でぶらーんと垂れ下がっているのを発見した。

私「折れとる…」
母「あれ?なんで」

多分母くらいしかそこは通らないから母の仕業だと思ったけど
母は今気づいたことを強調していた。

しかし私は母を責めなかった。
普段から庭の手入れしてくれてるのが母だから確率的に母のせいになるんだと思った。
折れた原因などどうでもいいし。ただ折れてるという事実を見て

なんだか自分みたい、そう思って、折れた枝を水にさした。

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水にさした翌日、早速一つの蕾が花開いた。

「折れとった枝なんに。部屋の中は暖かいからかなぁ。」と私は言った。
母は「そうやけど水にささんと咲かんわ」と言った。

一旦ポッキリ折れたところから
環境を変えたことによって回復していく姿が

なんだか自分みたい、と思った。

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その翌日は私が実家を発つ日だった。
もう一つの蕾が開いた。


なんだか自分みたい、と元気をもらった。2013-02-10 018

ろくすっぽ見ようとしなかった実家(3)竜宮城で考えること

そういえばいつ頃からか、だいぶ前から
毎日毎日、心の何処かで
「早く時間が過ぎないかな」とばかり
考えていたような気がする。

特に実家に帰ってきても、いつも東京に戻りたい一心だった。
家の問題や自分自身の問題と向き合えてなかったからだったと思う。

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こんなに
1分1秒を「惜しい」そう思えたのは
いつ以来だろう。

いつも、バイトとか、仕事とか、夫と喧嘩したりして
「早く時間よ過ぎてくれ」「早く時が過ぎて夜よ来い、私は惰眠を貪りたい」
そう思いながら過ごした時と同じ、1分1秒なのに。

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最も、衣食住が保証されて
無条件に受け入れてくれる実家は
非常に居心地が良いのは当然で。

しかし、大の大人が
いつまでもこんなことで済むはずがない。

ここは、竜宮城だ。 

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とりあえず私の無意識は、自分の「直前まで逃げ続ける」という姿勢が問題だと感じ、
そこから改めようと考えたみたいだ。

いつもなら「折角いま実家にいるんだから先のことは考えない。戻ってから考える」と
してたと思う。

考えない方向で進めて、いざ直面してからの瞬発力でなんとかして、
結果疲れきってしまう、ということを繰り返していたと思う。

それを、少しずつ前倒しで考え行動することによって
後のショックを和らげている感じだ。

本当に和らいだかどうかは、明日考えよう。



私もしかして、明日に前向きになれてる?

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これを書きながら、鳥の鼻息が聞こえてくる
それが嬉しい。
なんだろう、私は一人じゃないんだって、そう思えて嬉しい。

家族ってこういうことなんだよな、本当は。

魚でいいからペット飼おうかな。 

ろくすっぽ見ようとしなかった実家(1)ゆく川の流れは絶えずして

折角実家にいるのに
いたずらに時が経つのが辛く、勿体無く感じて。

また、家にいるとモラハラとか離婚とかそういう単語ばかり調べて
しんどくなっていくだけのような気がして。

天気予報が外れて折角外が晴れているのだから、と
いてもたってもいられなくて外に出たくなったそんなとき

夫と暮らしている家に戻った後のための
郵便物の転送届を出すという大義名分を思いついたので

私は11年ぶりに、実家の周りを歩くことにした。

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一週間の滞在中、一度も外出しなかった自分が
何故最終日外に出たのか、その理由は何なのか、という点について
このように整理して文章化するにあたって

自分で決めたことにも関わらず、私は率直な理由が自分で分かってないなぁ
ことに私は自分を偽り過ぎていて自分の本心が見えなくなっていたなぁ
そう気づいた。

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郵便局は、田舎のびっくり対応だった。
ハンコも身分証の提示も無しでOKという…

そんなんじゃ転送届偽り放題じゃないか!
しかも方言丸出し。

しかしふと思った。

 私は、この窓口の人のように
 こう、ただただ、のんびりした人生を選択することも出来るんだよなぁ。

 成績がいいから、とか、周りの期待に答えようと躍起になってただけで
 本当は、そう暮らしたほうが幸せになれる人間なんじゃないのかなぁ。

明日から始まる大都会の暮らしを頭に描きただぼんやりとした不安を覚えたせいか?
と思いつつも、なかなかこの思いつきが頭から離れなかった。

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極端から極端に触れるのは、精神的に安定を欠いている証拠。
澄み切った青空と全く逆の心をかかえ、郵便局から帰路についた。

小学校・中学校の頃の通学路。
初恋の人の家の前。
嫌いだったクラスメイトの家の前。
友達の家の前。

自分の足でこの道を歩くのは何年ぶりだろう?

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思い起こせば

半分記念受験のつもりで受けた大学に合格してしまい
何の準備もないまま、何もかも捨て、
慌てて都会に出たのが
ちょうど11年前のこの季節、3月だった。 

昔のままの家もある一方、新しい家が建っていたり
更地になっていたりする。

新しい家が建っているのを見ても、
ここが昔何が建っていたか思い出せなかったりして。

「ゆく河の流れは絶えずして、元の流れに非ず。」

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帰り、実家横の公園のブランコで身体を動かした。

過ぎた時を思えば安全上当然の措置だけど、
私が遊んでいた頃とは違う遊具、違う向きになっていて
ブランコから見える景色は変わっていた。

一体いつの間に変わったんだろう?と思い、はっとした。

家から見える公園のブランコが変わったことに気づかないくらい
私は実家をかえりみようとしなかった訳だ。

たまたまじゃない、明らかに避けてきたのだ。
にも関わらず受け入れてくれる親はほんとうに有難い。

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見慣れないよそ者の大人が子供も連れず、一人で昼間からブランコこいでるなんて
誰かに見つかったらどうしよう、と思うと揺れる青空と風景に集中できない…
そういえば、田舎のデメリットは「他人の目」だなぁ

なんて思いながら、揺れる風景の向こうに高校の通学路が見えた。
台地を登る、心臓破りの坂だ。

せっかくだしのぼってみるか?と少し考え、とりあえず一旦家に帰った。 
ギャラリー
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