雨のち晴れ〜毒親→モラハラ→離婚→現在

刑事罰を受けて開き直るレベルの毒親の顔色を見ながら育った結果、20代半ばでモラハラ夫と結婚・離婚。不幸を生む人間関係を断舎離し、30代半ばで再婚した人のものの見方の変遷。

離婚して

会社の経費着服を自慢するような人と仲良しだった昔の自分

前回記事で、モラハラ渦中にいて離婚を支えてくれた人々と、生活を取り戻すにつれ縁が切れたことについて、具体的に書き記すことで問題を整理してきました。

さらに思い出してみると、離婚についてとくに話もしなかったような距離感の人とも、ご縁が切れました。自分の物事の捉え方が変わると、モラハラ夫との生活に耐えていた当時の自分は我慢できてた人の態度が、受け入れがたくなったケースのなんと多いことか…とも思います。これまでのように振り返ってみます。

1)具体的にどんな人だったのか?
2)当時の自分はどんな対応をしていたのか?
3)縁が切れたきっかけは?
4)今の自分だったらどう対応するか?



  1. 具体的にどんな人だったのか?
  • 会社の経費を着服
他大学の人でしたが、大学の新歓時期に知り合った先輩でした。就職後、会社経費の着服を頻回に自慢してたのを覚えています。ちなみに会社の営業成績は最低だったそうです。日報の数字を全部ひらがなで書いたと自慢していました。(さんがつにじゅういちにち)年功序列で、そんな人にも部下がいたらしいのですが、自分の方が営業成績悪かったらしく、部下の揚げ足を取って非難していました。社内旅行にヒトラーのコスプレをして行ったと自慢していました。

  • 東日本大震災翌日に挙式、ハネムーンでリソースを割かせたことが自慢
そんな人が結婚するというので、落ち着くことを期待したのですが、そんな矢先…結婚式の前日に東日本大震災が発生しました。しかし、翌日の式は予定通り決行。さらに、その翌日は予定通りハネムーンに行けたという一連の流れを、自分は「こんなに苦労した、頑張った」と何故か被害者ヅラで武勇伝として自慢していました。

震災直後の混乱期は、航空券をキャンセルして、日本から出国できなくて困っている外国人にあげた人も多かったと聞きます。すべてキャンセルしろとまでは言いませんが、震災直後で、被災してない自分が被害者面して、あまつさえ、自分の為にリソースを割かせたことを武勇伝口調で語ることに対して、強い違和感を覚えました。
  • アウシュビッツで夫婦で笑顔でピースの年賀状
なお、ハネムーン先はアウシュビッツでした。そして、強制収容所前で夫婦で笑顔でピースの写真を年賀状にして送ってきました。震災直後とか関係なく、もう人間としてアウトではないかと。結婚して落ち着くかと思ったけど、似た者同士で結婚したか、あるいは、気弱で操作しやすい女を妻に選んだか…いずれにせよ回復の見込みはないと思いました。
  • 第一子の性器の障害を顔&実名とともに公表
そして奥様が妊娠したことを、誰も聞いてないのに、安定期に入る前に「アウシュビッツでハネムーンベイビーを作った」と皆に吹聴して回っていました。そのお子さんは、生まれてすぐ、先天性の障害があることが判明しました。

何故そんなセンシティブことを知っているかと言うと、付き合いで出た飲み会で、何も聞いてないのに一方的に語られたからです。どうやら、ブログでも男児誕生の一報と命名報告があった数日後に、「女の子でした」なんでも「先天性障害で、女児なのに男性器がついてた」と、我が子の顔と実名ごと公表していました。

重要なホルモンの分泌機能がない病気で、ホルモンを補う薬さえ飲んでいれば普通の生活は送れるけど、飲まないと死ぬそうで、生涯治らないそうです。調べてみると、先天性、遺伝性の障害だそうで、この方も奥様も同じ病気の遺伝子を持っていたことが原因だったようです…。

一生薬を飲む必要があることを周囲の人に理解してもらうのは必要かもしれませんが、特に性器の形状を、子供のフルネームと一緒に全世界に公開することに、デメリットはあっても、メリットはないと思います。その場の自分の感情で動いてるだけです。お子さんが大きくなって、クラスの男子あたりが見つけたら、とは、考えないのでしょう。
  • 妻もバレバレの嘘をつく
このように、親になることも、彼の奇行の抑止力にはなりませんでした。というか、しょうもない嘘の多い人で…ちょっと理解不能でした。

SNSに「お菓子の袋を開ける音で、子供が起きた」と書き込んだ数日後に「お菓子を大人になってから食べたことがない」と書き込んでました。現実離れした設定を自分で作り、その設定を数日で忘れてしまうようです。

そもそも、いくら夫がやりたいといったからって、アウシュビッツの前でピースしてる写真撮れる時点で、普通の女性ではない感じがします。それを夫婦連名の年賀状に使うのを承諾するというのも…。


2)当時の自分はどんな対応をしていたのか?

おかしいと思うことは多々ありましたが、向こうのほうが年齢が上なので立てなくてはと思っていました。親のことを立てていたように。

3)縁が切れたきっかけは?

ある日、友人たちとこの方のご実家にお呼ばれして行きました。すると、その方のお父様が出てきて、ホームビデオを流し始めました。その方中学高校時代のものですが、そんなもの、全然興味もないですし、見たくもないですし、そんな人生無駄にしたくないです。

その方本人も止めればいいのに、「やめろよぉ〜」みたいなことを言ったきり、下唇をかんでずっと下を見ていました。あ、毒親だと思いました。

そのビデオ上映会があまりに長すぎて、中座して、それ以降お会いしておりません。

なお奥様のほうは、育休が終わって専業主婦になった頃から突然弱気になりました。

「夫に養ってもらっているのだから感謝しなければ」系
の書き込みが増えました。「夫が娘を殴った」と書き込んで、見てて止めなかった自分も被害者であるかのような口ぶりでした。恐らく経済DV・モラハラ受けてるんだろうな―と推察されました。ちょうど私がモラハラに合ってた時期と重なっていました。

元々奥様がまっとうな人であれば、話だけでも聞こうかなと思ったのですが、元々の感性が違いすぎるため、関わりたくない思いのほうが上回りました。お子さんへの罪悪感はありましたが、現時点ではお節介でしかない、もしお子さんから私に助けを求めてこられることがあった際は助けようと気持ちを切り替えました。

4)今の自分だったらどう対応するか?

会社の経費着服を吹聴された時点で、フェイドアウトします。当時の自分は、経費の着服を良いことだと思うような、少なからず同じマインドがあったんだと思います。スーパーの試食をおやつにさせるような親のもとで育ったので、親と関係が切れるまで、そういう発想をしてしまったのは当然かもしれません。本当に、しょうもない親から生まれ、社会に貢献するどころか社会の寄生虫だったからこそ、変な人を引き寄せたんだなと反省しています。



<加筆>

https://www.youtube.com/watch?v=wF5WvnCn63U

メンタリストDaigoが、関わってはいけない人としていくつか特徴をあげていました。
このかたを思い出しました。
まさに、徹底的に距離を置かないといかんとDaigoが言ってるタイプの人間でした。


 
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モラハラ脱出を手伝ってくれた人と現在の関わり(2)カウンセラー

以前の記事で、モラハラ渦中にいて離婚を支えてくれた人々と、生活を取り戻すにつれ縁が切れたと書きました。下記軸で具体的に書き記すことで問題を整理し、手放したいと思います。

1)具体的にどんな人だったのか?
2)当時の自分はどんな対応をしていたのか?
3)縁が切れたきっかけは?
4)今の自分だったらどう対応するか?


一人目として、通っていた診療内科のカウンセラー(50代男性)のことを書きます。

1)具体的にどんな人だったのか?

離婚手続の代理人をしてくれた人です。病院を離れても、色々と助けてくれた方なのですが、同時に「公衆の面前で私の口に指を入れる」などのセクハラ奇行をされていました。性的なことを匂わせるような発言もたくさんされました。ちなみにカウンセラー資格は有しておらず、何故カウンセラーとして勤務できていたのかちょっと謎ではあります。私は、病院にセクハラのことは言えずにいましたが、ご縁を切るより前に、病院はクビになっていました。

2)当時の自分はどんな対応をしていたのか?

この人に嫌われたら助けてくれる人が他にいないとか、自己主張したら嫌われる、人から嫌われることは悪いこと等と思って、とにかく我慢しました。

3)縁が切れたきっかけは?

夫との離婚が成立して、態度が悪化しました。毎週のように食事に誘われ、体を触って当然、前述のように指を口に突っ込んでくることもありました。二人っきりにならないようにしていましたが、離婚数ヶ月が経ったある日、むこうの奥様もお子様もいるときに「送っていく」と車で二人っきりされてしまいました。車内で体を触られたとき、「やめてください!」と言って、降りて、そこから会っていません。

4)今の自分だったらどう対応するか?

最初に「被害にあった」と感じた時点で、冗談っぽくセクハラをたしなめると思います。そうすることで、相手を加害者にもせず、私を被害者にもしないようにしたと思います。私が嫌だと言わないことが向こうもどんどんエスカレートしたものと思いますし、嫌だと言ったところで諸々手伝ってはくれたような気もしますが、分かりません。

ただ、自分の病院に来てる患者で、精神状態普通じゃないの知った上でセクハラを行うというのは、色々助けてくれたことを差し引いても良識は疑います。


 
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モラハラ脱出を手伝ってくれた人と現在の関わり(1)

以前の記事で、モラハラ渦中に居た頃と現在では交友関係が変わってしまった(交友関係が変わったことで人生が好転した)と書きました。

実はモラハラ夫の元から脱出する際に、私に脱出しろと説得し、物理的、精神的に大きく手を貸してくれた人が3人いました。しかし、現在では全員すっかりご縁が切れております。

私の場合、(家庭で言うことはタブーだったが)親が貧しく、(当時は気づかなかったけど今思えば)モラ夫から経済的DVも受けており、お金がなく、ちゃんと離婚したくても弁護士を立てたりすることは不可能でした。したがって、信じがたいことに、周囲の人から色々と、無償で助けてもらいました。

しかし、立ち直っていくに連れて、不思議とご縁が切れていきました。ご縁が切れるたびに、当時は自分を責めに責めたものでしたが、今思えば、私が彼らに依存的でなくなって、自分自身の力で生きていこうとすると、彼らにとって私は必要ない人間になったのだと思っています。お互いに、必要がなくなった。

モラハラを引き寄せる思考をしていた頃は、どんなに我慢してでも縁をつながなきゃいけない、縁が切れることが悪いこと、友達が少ないほうが悪い、仲良くできないことは悪いこと、と思ってましたが、思い返すと、全然そんなことはなかったと感じています。

というわけで、モラハラにあってた頃波長が合って(?)助けてくれた人々が

1)具体的にどんな人だったのか?
2)当時の自分はどんな対応をしていたのか?
3)縁が切れたきっかけは?
4)今の自分だったらどう対応するか?


という軸で、一人ひとり掘り下げていこうと思います。



 
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モラハラ夫と結婚していた頃の自分の交友関係を振り返る(2)親

前回記事で、モラハラ渦中に居た頃と現在では交友関係が変わってしまった(交友関係が変わったことで人生が好転した)と書きました。私の場合、そもそも親がやばい人間でした。その親を否定しないために、周囲のどんなやばい人も否定してはならなかったんだと思います。根底的なハンディキャップがありました。


・何度も飲酒運転で捕まる。
・飲酒運転でついに事故を起こし相手に怪我をさせる
 ・裁判で、最後に言いたいことはないかと言われ「自分だけが罰されるのはおかしい。公務員なら許される」と謎の主張を行った、とわざわざ言ってくる(被害者意識
・見栄っ張りで「誰々と知り合い」的な自慢ばかりしているが自分に特に誇れることはない
・事業の数千万の資金について妻を連帯保証人にして借りて、踏み倒すのが前提だから大丈夫と言い張る
・子供さえいなければ自分は海外にい(て活躍して)たと子供に言う


・父親がひどい、自分はいつ離婚してもかまわないと主張し、居間に離婚届を飾る。
・スーパーの試食を子供のおやつにする
・安かったからという理由で使えないもの/要らないものを買うが、必要なものを「高いから」と買わない。
・送別の花束を花屋で買い、「高い」と文句を言って粘り、花屋に悪口を言われたと言う(自分が悪いのではなく花屋が悪い=被害者意識

親でなければこんな夫婦に関わりたくありませんから、当然ながらこの人達にろくな知り合いはいないと思います。ちなみに親類縁者は

父の弟(おじ)
・当時23歳になった私に「ピチピチギャルとは言い難い」と言い放つ
・美術館に行ってくるという私に「結婚して家庭を持ったら美術館とかそんな贅沢はあきらめなければならない」と貧乏子沢山自己紹介乙

父の弟の妻
・幼い我が子が回転寿司の高い皿を取ったという理由で何時間も泣き止まない位殴る
 そういう理由で殴ったと恥ずかしげもなく主張する
・観光ツアーの後ろにひっついて無料でガイドを受けたと自慢

こういうレベルの親族の本家初孫として、こんな人達の言動に一喜一憂してマトモに受け止めなければならなかったんです。やってられません。この人達と精神的距離が近ければマトモな人生は送れそうにありません。

要するに「君子危うきに近寄らず」は正解。
しかし、生まれたときから「危うき」が近くにいる者にとって、それに近寄らないことは非常に難しいです。

離婚して、自分を大切にできるようになって、自分の親は社会的にろくでもないやつだと認めてようやく、そういう危機管理能力が発達し、選択できるようになって、人生が好転した気がします。


 
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モラハラ夫と結婚していた頃の自分の交友関係を振り返る(1)

モラハラから逃れる方法を色々教えてくれる本や、相談窓口は少なくありません。私も当時はお世話になりました。しかし現実問題、モラハラ源から脱出できたとしても、逃げさえすれば直後から突然幸せになれるわけでは決してありません。何故でしょうか?

原因として下記が挙げられます。

・社会的要因
 脱出した瞬間「最悪の危機は脱した」と判定され、社会的庇護や同情が受けづらくなる

・当人の内面的要因
 渦中は何があってもすべてをモラハラ夫のせいにしていたのが、誰のせいにもできなくなって、モラハラを引き寄せてしまった自己の弱い部分と向き合わざるを得なくなる

この辺は割と簡単に想像がつくところかもしれません。しかし今振り返って最も恐ろしいのは、もっと想像だにしなかった、見えない部分でした。それは

モラハラを許してしまうような人は、自分を大切にできない傾向のある人。
自分を大切にできない人は、本当の意味で人を大切にできない。
ほんとうの意味で人を大切にできない人は、健全な自尊心を持った人にとって、居心地が悪い相手。

つまり、モラハラ被害者の人間関係は、大いにして、人を大切にできない人
(特に親・親戚)と精神的距離感が近い状態で周囲が固められている。

だから、これらの人間関係も一緒に断舎離しないと、また同じようなモラハラ体質人間を引き寄せるパターンを繰り返してしまうんです。「捨てる」とまで言わなくても、少なくとも精神的距離を置くことは必要です。

日本は同質社会なので、格差があることを指摘すること自体がタブーです。そのため、こういった、人間関係の質について真正面から言及する人は決して多くないと思います。言及されないからといって存在しないわけではありません。

「やばい人間に囲まれているやばい人間にプライベートで積極的に関わりたいと思うマトモな人間はあまりいない」身も蓋もない話ですが、みんな生きてかなければいけないから、これは真実です。モラハラから離れ、日常生活を取り戻して本を読んでみると、当り前のように書いてありました。

―品のない人は、品のあるところは窮屈に感じて居心地が悪いのです。品のある人は、品のないところでは居心地悪く感じます。

―友達に聞いて品がよくなるわけがありません。まわりにいる人は自分と同じレベルです。





この真実には、「品のない側」から気づくことは難しく、モラハラ被害に今まさに悩んでいる人が手に取る本ではありません。しかし、モラハラ被害から脱出後の大変さに書かれたこの「その後の不自由」では、切り込まれていました。

このブログの過去ログを見返すと、自分で書いたものながら、読んでいるだけで自分の呼吸が浅くなって筋肉が緊張していくのが分かります。我ながらこんな極端で余裕のない考えで、「自分はかわいそうな被害者なんで同情してください」というオーラが漂っていてしんどいです。

ああ自分は変わったなと思って考えてみると、モラハラにあうまで仲良くしてた人と今全然仲良くできなくなっていることに気づきました。一挙手一投足に「何言ってんの?」または「何やってんの?」状態です。きっと、こんな人達と仲良くしてたら、その人達に良しとされる行動規範で動いていたら、その人達に好かれるようにしようと振る舞ってたら、また、モラハラを呼び寄せるような思考になっていたんじゃないかなと思います。

当時、モラハラ夫と関係ない文脈で自分の近くにいたけれど、モラハラ夫離婚後自分が健全になっていくにつえて、お付き合いに耐えられなくなって疎遠にした人がどんな人達だったのか、という部分を少し振り返っていこうと思います。



 
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