モラハラから逃れる方法を色々教えてくれる本や、相談窓口は少なくありません。私も当時はお世話になりました。しかし現実問題、モラハラ源から脱出できたとしても、逃げさえすれば直後から突然幸せになれるわけでは決してありません。何故でしょうか?

原因として下記が挙げられます。

・社会的要因
 脱出した瞬間「最悪の危機は脱した」と判定され、社会的庇護や同情が受けづらくなる

・当人の内面的要因
 渦中は何があってもすべてをモラハラ夫のせいにしていたのが、誰のせいにもできなくなって、モラハラを引き寄せてしまった自己の弱い部分と向き合わざるを得なくなる

この辺は割と簡単に想像がつくところかもしれません。しかし今振り返って最も恐ろしいのは、もっと想像だにしなかった、見えない部分でした。それは

モラハラを許してしまうような人は、自分を大切にできない傾向のある人。
自分を大切にできない人は、本当の意味で人を大切にできない。
ほんとうの意味で人を大切にできない人は、健全な自尊心を持った人にとって、居心地が悪い相手。

つまり、モラハラ被害者の人間関係は、大いにして、人を大切にできない人
(特に親・親戚)と精神的距離感が近い状態で周囲が固められている。

だから、これらの人間関係も一緒に断舎離しないと、また同じようなモラハラ体質人間を引き寄せるパターンを繰り返してしまうんです。「捨てる」とまで言わなくても、少なくとも精神的距離を置くことは必要です。

日本は同質社会なので、格差があることを指摘すること自体がタブーです。そのため、こういった、人間関係の質について真正面から言及する人は決して多くないと思います。言及されないからといって存在しないわけではありません。

「やばい人間に囲まれているやばい人間にプライベートで積極的に関わりたいと思うマトモな人間はあまりいない」身も蓋もない話ですが、みんな生きてかなければいけないから、これは真実です。モラハラから離れ、日常生活を取り戻して本を読んでみると、当り前のように書いてありました。

―品のない人は、品のあるところは窮屈に感じて居心地が悪いのです。品のある人は、品のないところでは居心地悪く感じます。

―友達に聞いて品がよくなるわけがありません。まわりにいる人は自分と同じレベルです。





この真実には、「品のない側」から気づくことは難しく、モラハラ被害に今まさに悩んでいる人が手に取る本ではありません。しかし、モラハラ被害から脱出後の大変さに書かれたこの「その後の不自由」では、切り込まれていました。

このブログの過去ログを見返すと、自分で書いたものながら、読んでいるだけで自分の呼吸が浅くなって筋肉が緊張していくのが分かります。我ながらこんな極端で余裕のない考えで、「自分はかわいそうな被害者なんで同情してください」というオーラが漂っていてしんどいです。

ああ自分は変わったなと思って考えてみると、モラハラにあうまで仲良くしてた人と今全然仲良くできなくなっていることに気づきました。一挙手一投足に「何言ってんの?」または「何やってんの?」状態です。きっと、こんな人達と仲良くしてたら、その人達に良しとされる行動規範で動いていたら、その人達に好かれるようにしようと振る舞ってたら、また、モラハラを呼び寄せるような思考になっていたんじゃないかなと思います。

当時、モラハラ夫と関係ない文脈で自分の近くにいたけれど、モラハラ夫離婚後自分が健全になっていくにつえて、お付き合いに耐えられなくなって疎遠にした人がどんな人達だったのか、という部分を少し振り返っていこうと思います。



 
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