実家へ、祖母の一周忌に行ってきました。

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納骨の前夜、儀式的なことしか気にする余裕のない人達を尻目に
祖母と二人っきりになりました。

儀式の事を考えなくていい立場においてもらってることに感謝というべきか。
祈りというより、毒親の「恥をかかないように」という焦りばかりが伝わってくる。

誰が為の一周忌なのだろう。
そもそも追悼という行為自体、後悔のある残されたものの自己満足だと思う。
それが型にはまった儀式と化すとなれば
もうそれは一体誰のための何なのか、もはやわからない。
そもそも、祖母はそんなに信心深い人ではなかった。

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祖母には、離婚したよ、と報告。
そして、思わず聞いてしまった。
「じいちゃんと結婚して、幸せだった?」と。 

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仏壇の中を見たら、祖父単独だった位牌に、
祖母の戒名が隣に彫られ
1つの位牌になっていました。

結婚ってそういうことなんだなと、思いました。

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そういえば、法事の席で
いつもあれだけ遠回しに結婚結婚うるさかった親族が
ピタリと何も言いませんでした。

私の離婚は、喪主である親から伝わっていたのでしょう。

誰が為の配慮なのだろう。
私のためなのか親自身のためなのか。

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しかし一年前と今の生活を比較すると本当に別世界。
悩みはあるけど、次元が違う。

怖い経験ばかりした子供時代と結婚生活の影響で、どうしても脳が
なんでもないようなことを組み合わせて、勝手に怖い現実を作り上げてしまう。

友達に「勝手に推論するな」と怒られて、
見捨てられるのが怖くて必要以上に怯えたり
怒りはするけど無視したりしないんだってのを確認したり、
逆に、すねて無視してしまう自分の中に
かつての元配偶者の姿を見てうんざりしたり。

些細な事で、友達から捨てられる見放されると不安になって
その不安に根拠はあるのかと認知行動療法的なことをエクセルにまとめてみたり。

後遺症は重い。
治らないかもしれない。
周囲の人を苦しめるだけかもしれない。

罵倒はないけど
お金もない。
未来もない。

夢が叶わない人には、夢がはっきりしていないという共通点があります。
大好きなことをやって生きよう!/本田健 


 
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