毒親育ち→モラハラ離婚→出産

刑事罰を受けて開き直るレベルの毒親の顔色を見ながら育った結果、20代半ばで誰が見ても地雷なモラハラ夫と結婚・離婚。不幸になる人間関係を断舎離し、30代半ばで再婚、30代後半で第一子出産。渦中の頃の気持ちから、過去の自分に言いたいことまでの記録。

家庭内別居を機に身体と対話(尻の冷え解消編)

先週、診療所の医師に
「自分の身体の声が聞けるようになったね」
と言われた。

そして今週は
生まれて初めて尻の冷えが解消した。

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私は物心ついた時から
ずっと尻が冷えていた。

大学受験の日、左右の尻たぶにカイロを貼っていったのを
昨日のことのように覚えている。

そして毎年そんな感じでカイロを使っていた。

しかし一度冷えたが最後、ほんとうに全然温まらないのである。

カイロを貼っても、貼ってない場所との境がくっきりとするだけ
(貼った場所は汗をかき、貼ってない場所は冷えたまま)

風呂に入っても温まらず、
気づいたら尻の周りの水だけ冷たくて
慌ててかき回す

それでもあたたまらない。

…こんなことが恒常化していた。

そしてそれが当り前だと思っていた。

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しかしそれが初めて変わった。

土曜、診療所のアクアビクス的運動の新メニューをやったら
大殿筋(あるいは小殿筋)が直後からひどい筋肉痛で
2日経っても全然おさまらないほどだった。

しかし、今日オフィスで
「あっ冷えるな」と思って
トイレに駆け込んでさわってみると 

 冷えてな~い

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「筋肉量がないから冷え性」
そんなこと知ってた。

だけど実感しないと分からなかった。
筋肉がどれほど温かいか。
身を持って知った。
ほんとうの意味で、知った。
今までは知った気になってただけだった。

死んだ祖母に小さいころよく言われた
「モラ子はよくものを知ってるのになんで実践しないの」

・・・実感と結びつかない知識は私にとって死んでいるのだ。
私は超感覚派の人間らしい。

痛い目見ないとわからない。

だから失敗が多い。。。

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しかし尻の冷えがこんなことで治る兆しを見せようとは。
多分このまま何もしなかったら私は不妊体質一直線だったと思う。
尻の冷え→子宮・卵巣の冷え=機能の衰え

でもこうやって運動を続けてけば
きっと大丈夫。そう思えた。

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今グジグジ悩んでる間に時間だけ年だけ食って
不妊になって子供が持てないのが私の一番の恐れだった。

加齢を止めることは出来ないけど
今がマイナスだから、今よりもっと健康になることは出来る
そう信じられた。


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そして、冷えの解消とともに
骨盤を自由自在に閉じられるようになった。
高校時代からの悩みだった垂れ尻がぷりっとした。

以前の尻の写真を撮って変化を見られるようにしておけばよかったと思うくらい。

そして、尻の筋肉が変わると
歩き方も変わった。

すると、すり減ってる靴が
どうにも気持ち悪く耐え難くなってきた。

実は、今まともな靴を持っていない。
すべての靴が履き潰されていて、
本来なら全部捨てるレベルなんだけど
どれから買うか決めかねて
そして、買った時の思い出にひきずられて捨てられず買えず
今日に至る。

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夫と行った台湾旅行のために買った靴。
夫と行ったヨーロッパ旅行のために買った靴。

ついに捨てる時が来たか。

 

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