自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受けいれ、
自分がどれほど依存しているかを自覚し、
感謝していることではないだろうか。
こころの処方箋/河合隼雄)

台風襲撃のせいか、外に出ても驚くくらい人が居なかった。
いつもこのくらい静かならいいのに、なんて
都心に住んでいながらばかみたいな話だけど、心からそう思った。

私は一人になりたい…のか?

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「一人になりたい」
そう聞いて思い出す事がある。

モラ夫の極端なリアクションを受けかねて、
いつも相談していた先輩のことだ。

その先輩に相談するたび
「モラ夫は一人になりたいんじゃない?」
と言われた。

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その先輩とは
数年来の付き合いだったが
絶縁されてしまった。

私がモラ夫の極端な行動でパニックになり
その度に先輩に電話していたら
絶縁宣言を受けた、という経緯だった。

ある日、モラ夫は友人として残しておきたいが
モラ子とはもう勘弁、とモラ夫に言ってきた。

それ以降、結局モラ夫にも私にも連絡はきていない。

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もちろんその先輩とのこれまでの私の態度の中にも
反省すべき点は多かったかもしれない。

しかしその先輩は、私が10年前に貸した3万円を返してくれていなかった。
それを返さないまま、というか一切触れられない状態で10年ほどの歳月が過ぎた。

その先輩はカウンセラーのようなことをしていた。
私はたまにお金を払い、たまに払わず、って感じで受けていたが
「貸した金はどうなるんですか?」と言えなかった。

それは、こちらがお金貸してる側なんだから
ある程度こちらの役に立って当然だという思いを
私に抱かせた。

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その先輩は、借金をしてる相手に借金を返さず
自分から絶縁宣言する様な人だった訳だが

モラ夫はその借金のことも知らず、
私がその先輩に何の相談をしていたかも知らず

「十年来の知り合いに愛想つかされるなんてお前も相当だ」
「付き合ってやってるのは俺くらいなもんだ」
と言って私を責めた。
そして私は100%自分が悪いと思ってしまった。

それを私はそのとおりだと思って
自己評価をどんどん下げていった。

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しかし冷静に考えてみれば
私は私のやり方で長く続いている友だちはいる。

しかも、同棲を始めて、モラ夫の癇癪をいちいち浴びる毎日を送っていなければ
そんな頻繁に先輩に相談することもなかったわけだし
しかも、その先輩は、10年前の借金を返さないまま絶縁宣言をするという
非常識なことをやってのけているのであった。

私はそのことを多分モラ夫には話さなかったと思う。
何故か?
バツが悪いからコレ以上その話はしないでほしいとでも思ったのかな。
はっきりとは覚えていない。

でも、「なんで今まで言わなかったんだ」とか
「言い訳するな」とか
そういう返しが予想出来て、
このタイミングで言うことを避けたんだと思う。

ああ、結局アサーティブでない私が問題の発生源だったか。

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私は自分が悪くないなんて言いたいわけじゃない。
ただ、今まで100%私が悪いと思っていたけど
別に100%私が悪いわけじゃないと思えるようになってきた。

そして、あたらしい「自分の悪かった点」
「絶縁はわかりました。でも返すものは返して下さい」
そうアサーティブに言えなかった。
それは私の悪かった点
だ。

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終わったことは仕方ないので、
誰かや何かのせいにしたメールを打っていると、はっとわれにかえって
「私がこうしたい」という形の表現に変える日々だ。

気付き→直す

ただそれだけだ。

いままでやってこなかった自己表現。
急には出来ないから練習、練習。

 

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