金田一少年の事件簿で、お蔵入りになった作品がある。
異人館村殺人事件という話だ。 

大好きだったんだけど、
ある小説のパクリだということで
お蔵入りになってしまい、映像作品では永久欠番となってしまった。

というので占星術殺人事件も後追いで読んでみた。
確かにトリックは丸パクリと言っていいくらいだけど
ストーリーの組み立ては完全なるオリジナルだと思う。

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そういえば読んだとき、面白くて一晩で読んでしまったが、あまりに怖くて眠れなくなってしまい
夫に今日は一緒に寝たいと言って快諾されたけど
夫が寝起きに突然ブチ切れたりするリスクを考えて、やめたんだった。
(過去に何度もそういうことがあったので)

自分に100%非はないという体を取った
唐突ななブチ切れや、手のひら返しの過剰反応に対して
私の精神はもう限界を超えているんだと思う。

今までなんとか取り繕ってきたけど、もう、無理で
それが今の別居に至っているわけだなと
改めて思ったりなんかして…。

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本題に戻って。
推理モノにおいて、トリック丸パクリってどうなのってことはあるけど… 
個人的に、異人館村殺人事件は恋愛物語として好きだ。

ネタバレしないように書きますが
すべての事件が終わってから、最後の最後に、金田一少年が、

作品中2人の登場人物の生い立ちに
何の障害もなければ、今頃…

というかなしい夢をみる、という回想シーンがある。 

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私も夫もきっとそうなのかな、とふと思った。
生い立ちに何の障害もなく
機能不全家庭に生まれていなければ

ねじ曲がった自己表現などせずに
幸せな家庭を築けていただろう、と。

しかし同時に
そういう、不幸な過去という共通項がなければ
夫と私は、そもそも恋愛にならなかったような気さえしている。

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夫は私の何が良くて一緒になった?
私は夫の何が良くて一緒になった?

コレを軸に考えてみる。

夫は私が夫の良き理解者であることを願った。
夫が人間関係をうまく築けず孤独になればなるほど
私一人へ求めるレベルは高くなっていった。

そして今は最早、医療従事者のレベルに達していたと思う。
にも関わらず、その努力は一切評価されず
むしろ罵倒される日々。
そんな日々から私は逃げ出した。

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そういえば漫画つながりで、夫が読んでるアフタヌーンなどの漫画に出てくるヒロイン像が
主人公の横暴をいつもゆるしいつも理解しいつも待つような女ばかりで
以前夫の機嫌が良いときに「こんな女求めてるんじゃないの?」って聞いてみたら
否定された。

あまりにはっきりとした否定は、
肯定を含んでいる場合があると思う。
「自分ですら気づいていない」という場合が。

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夫は、私には「対等な人間関係を求めている」と言いながら
本当に求めているのは、どんな無茶も聞いて、
どんな失態をも許してくれる都合のいい女
なんじゃないか。

そして私が自分の意に沿わない行動をとると、
自分すら気づかないうちに論点をすり替えて
「対等な人間関係を求めている」と言って来ているのではないか?
そう考えると、合点が行くことがあまりにも多い。

夫の中には理想とする自分とそうでない自分がいて、
そうでない自分のとった行動は全て無かったことにするルールで
動いているのではないか?
そう考えると、合点が行くことがあまりにも多い。

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それが病的に進行した状態が多重人格になると思うけど
最早それに近い状態かもしれない。

私はやりきれるのか、そこで。
ただひたすら自分に問い続ける。

現実に夫がしてきた行動を見る。
本人が認めないならそれでいい。
ただ私は見た。そしてそれを現実として認める。
その上で私が私の行動を決める。
それだけだ。


 

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