祖母の葬儀に参列して来ました。

毒祖母だったのに普通に泣きました。
どうして毒祖母になったのか、背景事情は分かっていたので

いざ死体に直面したり、葬儀で故人の良かった面だけ言われると
自分が受けた被害より、故人の気の毒な面や、いい思い出が浮かんで来るものでした。

私が祖母の毒の原因に気づいた時、既に祖母は植物人間状態でした。
だから、いくら理解していても、こちらから説明することも、理解を示すことも
何も出来なかったので

その無力感に襲われました。

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そして、喪主を務める毒親夫婦の共依存ぶりにうんざりしました。 
でも、この人達が死んだらきっと泣くんだろうなと思いました。

そして、毒親を恨んだ分だけ、 無力感に襲われるのだろうな。
いい子ぶりたい私は結局のところ死者を恨み続けることは出来ない。

そう気づきました。

だから、自分の為に恨みの感情は手放さなければならない

…なんて、色んな本に書き尽くされてることで、絶対偽善だと思ってたことで、
いまひとつっていうか全然腑に落ちなかった 
だけど自分の素直な気持ちとして心の底からこの言葉が出てきたのでした。

不思議なものです
不思議すぎてよくわからないけど
ただ今はこの感情を味わおう。
理論や学問とか常識とかで縛ったり水をさしたりするのはやめよう。

今はそんな思いです。 

  

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