年をとっても働くということ(1)
の続きです。
Bさんと別れてから
Bさんは
「私は、左から右へと流れてくる逆側のレーンにいたから
楽だったんだけど、あなたは逆側で
右から左に流れてくる方だったからやりにくさが全然違うと思うわ。
今度から逆のレーンにつくといいわね」
「いちごは上下の向きがあるから大変よね。」
と実に的確なアドバイスをくれました。
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「自分は出来た」と言うために、出来なかった他人をけなすAさん。
その相手が、目の前に居る私だと気づいた瞬間口をつぐんだAさん。
何故やりにくかったかを分析し、明示した上に、
やりやすくするアドバイスをくれたBさん。
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2人とも年配の、自分の母親と同い年くらいの女性で、
それまでの生き様が表れているような態度の差でした。
Bさんとバスの隣になってお話をしたのですが、
普段は仕事をなされている方で
休日家でぼーっとしているのが嫌で、
休日だけ日雇いをしていると言っていました。
仕事の方も「若い人を育てるため」に早期退職して
今は正社員じゃない状態で働いているという見上げた志で、
「仕事が嫌だから、一刻もはやく辞めたい。」と言いながら
何年もズルズル働いている公務員の私の母とは
志が雲泥の差でした。
仕事について、介護について、
帰りのバスでたくさんお話しを聞けました。
その間私も、素晴らしいと思う、尊敬します、と
気持ちを素直に伝えました。
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ちなみに、家庭の話は一切出ませんでした。
(私のほうが出せないのもあるけど)
普通、子供がどうとか孫がどうとか言って、
自分については語れることなどないことについて
お茶を濁す年頃に思えたのですが
もしかしたら独身でお子さんもいらっしゃらない方かもしれません。
私の、母親からもらった価値観によれば
「負け組」の女性です。
でも、全然負け組とは思わない
むしろ素敵だと思っている自分がいました。
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2人の違いは、ズバリ
自分以外の周りが見えているか、いないかだと思いました。
自分以外の周りが見えているか、いないかだと思いました。
Bさんと別れてから
自分はどうやったらBさんのような
年の重ね方が出来るだろうか?
なんて考えながら
「そもそも、なんであんなにも
『子供がほしい』と思ってたんだろう?」
母親に刷り込まれた価値観と、
自分の中に芽生えた価値観が、
私の中で戦争を起こし始めたのでした。