自殺を考えていて、その動機のなかにほんの少しでも「自分が辛かったことを、ある人物に対し思い知らせてやろう」という成分のある人がもしいるとしたら…

その目的が達成されることは絶対にない、と私は言いたい。そんな経験をした。

・「彼」のプロフィール

ある日、地元の旧友の弟が17歳で命を断ったことを、母から知らされた。旧友の家はお金持ちだが、明らかに機能不全家庭だった。

彼の父は、完璧を求める厳格な成功者。
彼の母は、典型的「デモデモダッテ」。
彼の兄は、某有名大学に合格し上京。以降、帰省せず。
彼の姉は、中学から不登校になり、高校を留年。卒業しても就職せず、自宅で日々リスカ。

17歳で命を絶った彼は、この兄姉から年の離れた末っ子であった。小学生時代は通知表オール5だった彼は、一家の最後の希望の星だった。

・「彼」のその後

子供用自転車に乗っている姿が、私の記憶にある彼の最後の姿だった。その後自殺するまでの10年間をどう過ごしたかは、彼が自殺したと聞いてから知った。

彼は高校受験に「失敗」した。世間的には成功だが、彼の家的には「失敗」だ。少なくとも、オール5の子なら行く高校ではなく、彼の兄の母校より数ランク落ちる。

高校入試までに彼の成績が落ちて、その高校にならざるをえなかったのか。それとも、彼自身に意図があってのことだったのか。私には、わからない。ただ確かなのは、彼は父から高校入試関連で叱責され、彼の姉と同様、不登校になったらしいということだ。

そんなある日、彼を特別可愛がってくれたらしい祖母が亡くなった。祖母は、彼の家から近い所に住んでいたそうだ。祖母の死からしばらくしたある日、彼の母をして「大人としては大した口喧嘩ではなかったけど」とされる口論が父と彼の間であり、その翌日、彼は、祖母の家で首を吊っているところを発見された。

彼を発見したのは姉と母親だった。彼が居ないことに気づき、「おばあちゃんの家かな?」と思って見に行ったという。オロオロするばかりの母親を尻目に、リスカばかりしていた彼の姉が「何やってる、はやく下ろさんと!」と言って自分より大きな身体の弟をおろし、人工呼吸を試みた。しかし、彼に意識が戻ることはなく、搬送先の病院で、わずか17年の短い命を閉じた。遺書はなかった。

・彼の死がもたらしたもの

彼の死を受けて、

彼の姉は「私は弱くない」と、ひきこもりから脱し、職を探し始めた。
(このままここにいたら次は自分が死んでしまうと気づいたんだろう)

彼の父は、自分を責め、心療内科に通うようになった。
(自分に変わる必要があると初めて認めたんだろう)

彼の兄は「俺がそばにいてやれたら」と涙したが、引き続き、実家に帰ることはなかった。
(自分が実家にいればよかった、のではなく、弟を救い出して側にいたかったという後悔?)

皆が、死んだ彼の遺志のようなものに寄り添った。
…母以外は。

・開き直る母

彼の母は、この期に及んで「息子が自殺したのは夫のせいだ。夫とは口も聞かない」と言いながら、夫と離婚するわけでもなく、職を探すわけでもなく、無視しながら一緒に暮らしているとはばかりなくいうのだ。「私は一人で生活はしていかれないから」と言って。

家族が自ら死を選ぶという自体に直面してもなお
家族の中で一人だけ、何一つ建設的な行動ができていない。
デモデモダッテは、子供が死んでも、デモデモダッテ

むしろ息子の自殺によって夫のせいで子供をなくしたかわいそうな母という不可侵の被害者ポジション取りに躍起になった。ますます他罰的になり、自己を顧みるということをますますしなくなった。

・そもそも論で考える

子供が自殺したことで自らを省みることができるような親であれば、そもそも論として、子供が自殺したくなるような状況になるもっと手前に自らを省みて、環境が改善されるはずだ。

ただ例外中の例外として、朝倉泉(過干渉の祖母を殺してから自殺した高校生)のお母様を挙げたい。彼女は息子の自殺後に、家庭の問題を認識していながら放置した自分を悔いる手記を出版している。自分の非をごまかさず認め、毒親のどの字もない時代に、毒親問題の本質を完全に突いている良著だと思う。

朝倉泉のお母様が例外と断言できる根拠は、彼女はフランス文学者の娘であり、本人も放送作家という、パンピー離れした知的水準の方ということだ。要は、精神的に未熟かつ教養もなく親になったというだけで、子供と未婚者の前だけでだけふんぞりかえっている、その辺の有象無象のデモデモダッテおばさんに彼女と同じ行動ができるはずがないのは当たり前である。

・親に期待してはいけない

仮に子供が思うほどの責任感を親が有していれば、家庭崩壊は放置されない。

結局この母は、息子が自殺に至る経緯を、「祖母の死があり、父との軽い口論によって、思春期ゆえの繊細さで死を選んでしまった」と、同じデモデモダッテ族に属するうちの母に話した。息子の死は衝動的なもので、自分は息子の自死について被害者であり外野であると。

遺書がない以上、死んだ本人の真意は分からない。個人的な思いを言わせてもらうと、これを突発死だと判断する人とは、あまり友だちになりたくない。

あくまでも自分は被害者というスタンスを取り続け、家の外で自分が悪くないことを主張し、それに同調してくれる人間を探すことしかしない。このような鬼母が反省などするはずなど、ない。

・あとがき

自死に至る顛末は、私の母から聞いたものだ。
母は「この話を聞いて、仏壇に手を合わせて一緒に抱き合って泣いた」と言った。

それなのに何故か私には、母が嬉しそうに話しているように見えた。
まるで「うちの子は死んでいないので私の勝ちだ」とでも言いたそうな。
まるで「だからお前は何が合っても死ぬな、私のために」とでも言いたそうな。

ぞっとした。
母に対し。そして、こんな最悪なことまで考えてしまう位、母を信頼していない自分に対し。
でも、母の目は、他人の悪口を行ってるときと同じ、キラキラと輝いた目に見えたのは、私にとって事実なのだ…。

彼ら兄弟のことをよく知っていた私は、それが機能不全家庭であるという知識もしっかりあった。それなのに何故、彼が死ぬ前に話を聞いてあげられなかったかと

悔いて、悔いて、
若い未来ある彼が死ぬくらいなら、
彼をあの悪魔の家から切り離して私が死んだのにと悔いて…

勿論、いまだに後悔は残っている。

私が高校時代、機能不全家庭を苦に自殺をした場合、私の母は彼の母とそっくり同じリアクションを取ったであろうことが容易に想像がついてしまうだけに、考えるところがとても多かった。