以前読んだ本に、嫉妬とは
本心を隠す仮面
自分に合っていると思いながら怖くて手を伸ばせないものを、
他人がやすやすと手に入れていることへのいらだちであると
書かれていた。

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前述のとおり私は、ある友人が子供を作ったことがきっかけとなって、
この人ともうやっていけないと思ってしまい、絶縁した。

私は、その友人に嫉妬してるんだと思ってた。
私が子供欲しいけど、ちゃんと育てられる基盤が整うまでって我慢してるのに 
基盤がまだなのに子供を持った友人に嫉妬しているんだ、って。

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でも、この考え方は私の考え方じゃない。
きっと母親にとって正しい考え方だ。

母親にとって、

結婚している自分=勝ち組 
子供が居る自分=勝ち組

どんなに社会的に成功していても、どんなに輝いていても
結婚してなければ「いつ結婚するんですか?」と上から目線で質問。
子供が居なければ「子供は?」と上から目線で質問。

そんな母親がすごく嫌だったじゃないか。
私はそんなこと全然思わないじゃないか。

なのに、自分がそう思ってるんだと思ってた。
不思議だ、
機能不全家庭の思考の癒着は恐ろしい。

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私は友人に対して嫉妬なんかしてない。

機能不全家庭を自覚も解決もしないまま
負の連鎖に子供を巻き込み始めている友人を
心底軽蔑している位だ。

嫉妬してるわけ無いじゃないか。
羨ましいと思う要素がないもの。

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母親のような感性なら、嫉妬と思うかもしれない。
けどそんな人とは一緒に居られない

後先関係ない無責任な人間だということが分かって
距離を置きたくなった。それだけだ。

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自分の気持を 自分で理解するって すごく大事だと思った。
本当に すっきりした。

今まで、その友人にどう接していいか分からなかったけど
もう どうしたらいいか 分かった。

もう、袂を分かつ以外、ない。
しかも、話しても、通じない。
分かってもらおうと 思わない。

今までは、分かってもらおうとしていた。

しかし、分かるはずないってことに気づいたし
分かる気もないってことに気づいたし
分かってもらえなくても私は平気だと分かった。

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そう思えたのは、自分が自分を理解し信頼しているという実感を
生まれて初めて得られたからだと思っている。

自分が自分を正しく理解していればそれだけで良かった。