乙武氏が、twitterで親を恨んだことがあるかと聞かれ
ないと言い切って、「良い親に育てられてうらやましい」と言われていた。

乙武氏の弁があまりに素晴らしかったので
以下抜粋します。

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昨夜、フォロワーさんから「親を恨んだことはあるか?」と聞かれ、「一度もない。感謝しかない」と答えると、今度は別の方から「それはウソだ。一度くらいあるだろ」と来た。僕の心情や思考が理解できない――と感じるのは自由だけど、自分の心情や思考を絶対基準として、相手に強制しないでほしいな。

「すべての人が親を恨むべきでない」「どんな親でも感謝しろ」なんて、僕はひとことも言っていない。ただ、「僕は感謝している」とみずからの心情をつづっただけ。なのに、「つらい境遇に育った自分は、いまでも親を恨んでる(もしくは、恨んでいた時期がある)んだから、おまえも恨め」と言うのかい? 

でも、先ほどの方が言っていた「親たる資格のない人間」のもとに生まれた子のケアは、非常に重要なことだと思っています。僕が小学校教員退職後、「まちの保育園」立ち上げ&運営に関わっているのも、そうした考えから。そうした人々の生きづらさを少しでも解消していくことは、社会の大きな課題。 

でもね、「親たる資格」って何だろうね。完璧な人間なんて、いないからさ。僕だって、二児の父として、十分にやれているかは自信がない。みんな親として「足りていない」ことを自覚し、祖父母や、友人や、地域がそこを埋めていけるといいよね。そうして親の至らなさを恨む子が減っていったらいいな。 

1.さっきからの流れからか、「乙武さんがうらやましい」というリプが後を絶たない。手足があっても、つらい境遇で育ってきた人、いまでも苦しんでいる人が、たくさんいるんだよね。それにしても、すごいことだよね。手足のない身体障害者が、他人様から「うらやましい」と言われる日が来るなんて。 

2.僕を否定したがる人は、「でも、おまえは○○に恵まれている」と言う。もちろん、それは実感している。とても恵まれていると思う。だけど、これまでの社会では、どんな「でも」を積み重ねたって、「手足のない身体障害者」は不幸な存在とされてきた。どんなプラスを積み重ねても、覆せなかった。 

3.それが、いまこうして「乙武さんがうらやましい」と口にする方が多くいる。乙武洋匡という立場を離れ、客観的に見たとき、これは画期的なことだと思う。ただ、どうしても言っておきたいのは、これは僕が頑張ったからという努力の話ではないということ。あくまで、僕を育てた両親が素晴らしいのだ。 

4.日本は、新たなステージを迎えたのかもしれない。僕のような「目に見える」障害者への理解はずいぶんと進んだ。次は、「見えにくい」障害に対する理解や配慮だ。精神障害や発達障害など、理解されずに苦しんでいる人が多くいる。同性愛や性同一性障害など、少数派であることで苦しむ人々もいる。 

5.稀有な感性を持った両親に育てられ、いまこうして満たされた人生を送れているからこそ、今度はこうした人々に対する理解を深め、多様性を認めることのできる寛容な社会の構築に少しでも尽力していきたい。それが、少なからず育ててくれた両親への恩返しにもなると思うから。長文、失礼しました。了  

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感動した。