雨のち晴れ〜毒親→モラハラ→離婚→現在

刑事罰を受けて開き直るレベルの毒親の顔色を見ながら育った結果、20代半ばでモラハラ夫と結婚・離婚。不幸を生む人間関係を断舎離し、30代半ばで再婚した人のものの見方の変遷。

2018年11月

モラハラ夫と結婚していた頃の自分の交友関係を振り返る(2)親

前回記事で、モラハラ渦中に居た頃と現在では交友関係が変わってしまった(交友関係が変わったことで人生が好転した)と書きました。私の場合、そもそも親がやばい人間でした。その親を否定しないために、周囲のどんなやばい人も否定してはならなかったんだと思います。根底的なハンディキャップがありました。


・何度も飲酒運転で捕まる。
・飲酒運転でついに事故を起こし相手に怪我をさせる
 ・裁判で、最後に言いたいことはないかと言われ「自分だけが罰されるのはおかしい。公務員なら許される」と謎の主張を行った、とわざわざ言ってくる(被害者意識
・見栄っ張りで「誰々と知り合い」的な自慢ばかりしているが自分に特に誇れることはない
・事業の数千万の資金について妻を連帯保証人にして借りて、踏み倒すのが前提だから大丈夫と言い張る
・子供さえいなければ自分は海外にい(て活躍して)たと子供に言う


・父親がひどい、自分はいつ離婚してもかまわないと主張し、居間に離婚届を飾る。
・スーパーの試食を子供のおやつにする
・安かったからという理由で使えないもの/要らないものを買うが、必要なものを「高いから」と買わない。
・送別の花束を花屋で買い、「高い」と文句を言って粘り、花屋に悪口を言われたと言う(自分が悪いのではなく花屋が悪い=被害者意識

親でなければこんな夫婦に関わりたくありませんから、当然ながらこの人達にろくな知り合いはいないと思います。ちなみに親類縁者は

父の弟(おじ)
・当時23歳になった私に「ピチピチギャルとは言い難い」と言い放つ
・美術館に行ってくるという私に「結婚して家庭を持ったら美術館とかそんな贅沢はあきらめなければならない」と貧乏子沢山自己紹介乙

父の弟の妻
・幼い我が子が回転寿司の高い皿を取ったという理由で何時間も泣き止まない位殴る
 そういう理由で殴ったと恥ずかしげもなく主張する
・観光ツアーの後ろにひっついて無料でガイドを受けたと自慢

こういうレベルの親族の本家初孫として、こんな人達の言動に一喜一憂してマトモに受け止めなければならなかったんです。やってられません。この人達と精神的距離が近ければマトモな人生は送れそうにありません。

要するに「君子危うきに近寄らず」は正解。
しかし、生まれたときから「危うき」が近くにいる者にとって、それに近寄らないことは非常に難しいです。

離婚して、自分を大切にできるようになって、自分の親は社会的にろくでもないやつだと認めてようやく、そういう危機管理能力が発達し、選択できるようになって、人生が好転した気がします。


 
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モラハラ夫と結婚していた頃の自分の交友関係を振り返る(1)

モラハラから逃れる方法を色々教えてくれる本や、相談窓口は少なくありません。私も当時はお世話になりました。しかし現実問題、モラハラ源から脱出できたとしても、逃げさえすれば直後から突然幸せになれるわけでは決してありません。何故でしょうか?

原因として下記が挙げられます。

・社会的要因
 脱出した瞬間「最悪の危機は脱した」と判定され、社会的庇護や同情が受けづらくなる

・当人の内面的要因
 渦中は何があってもすべてをモラハラ夫のせいにしていたのが、誰のせいにもできなくなって、モラハラを引き寄せてしまった自己の弱い部分と向き合わざるを得なくなる

この辺は割と簡単に想像がつくところかもしれません。しかし今振り返って最も恐ろしいのは、もっと想像だにしなかった、見えない部分でした。それは

モラハラを許してしまうような人は、自分を大切にできない傾向のある人。
自分を大切にできない人は、本当の意味で人を大切にできない。
ほんとうの意味で人を大切にできない人は、健全な自尊心を持った人にとって、居心地が悪い相手。

つまり、モラハラ被害者の人間関係は、大いにして、人を大切にできない人
(特に親・親戚)と精神的距離感が近い状態で周囲が固められている。

だから、これらの人間関係も一緒に断舎離しないと、また同じようなモラハラ体質人間を引き寄せるパターンを繰り返してしまうんです。「捨てる」とまで言わなくても、少なくとも精神的距離を置くことは必要です。

日本は同質社会なので、格差があることを指摘すること自体がタブーです。そのため、こういった、人間関係の質について真正面から言及する人は決して多くないと思います。言及されないからといって存在しないわけではありません。

「やばい人間に囲まれているやばい人間にプライベートで積極的に関わりたいと思うマトモな人間はあまりいない」身も蓋もない話ですが、みんな生きてかなければいけないから、これは真実です。モラハラから離れ、日常生活を取り戻して本を読んでみると、当り前のように書いてありました。

―品のない人は、品のあるところは窮屈に感じて居心地が悪いのです。品のある人は、品のないところでは居心地悪く感じます。

―友達に聞いて品がよくなるわけがありません。まわりにいる人は自分と同じレベルです。





この真実には、「品のない側」から気づくことは難しく、モラハラ被害に今まさに悩んでいる人が手に取る本ではありません。しかし、モラハラ被害から脱出後の大変さに書かれたこの「その後の不自由」では、切り込まれていました。

このブログの過去ログを見返すと、自分で書いたものながら、読んでいるだけで自分の呼吸が浅くなって筋肉が緊張していくのが分かります。我ながらこんな極端で余裕のない考えで、「自分はかわいそうな被害者なんで同情してください」というオーラが漂っていてしんどいです。

ああ自分は変わったなと思って考えてみると、モラハラにあうまで仲良くしてた人と今全然仲良くできなくなっていることに気づきました。一挙手一投足に「何言ってんの?」または「何やってんの?」状態です。きっと、こんな人達と仲良くしてたら、その人達に良しとされる行動規範で動いていたら、その人達に好かれるようにしようと振る舞ってたら、また、モラハラを呼び寄せるような思考になっていたんじゃないかなと思います。

当時、モラハラ夫と関係ない文脈で自分の近くにいたけれど、モラハラ夫離婚後自分が健全になっていくにつえて、お付き合いに耐えられなくなって疎遠にした人がどんな人達だったのか、という部分を少し振り返っていこうと思います。



 
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恋愛結婚を優秀な子孫という観点で考えてまとまらない

眞子内親王殿下や自分の両親、祖父母を見ていて、恋愛結婚について考えるところがあります。

恋愛結婚をした私の祖父母を思い返せば、お嬢様育ちで聡明だった祖母と、かっこよかったかもしれないが無教養で野蛮だった祖父は、孫の私から見ても教養レベルが違いすぎて話が噛み合っているのを一度も見たことがありません。

そんな夫婦の息子である父も、どちらかというと無教養で野蛮で、法令遵守意識が低く、飲酒運転を繰り返して逮捕起訴されても反省しないレベルです。地頭はそこまで悪くないのですが、ソシオパス系統か、先天的というよりは後天的に精神的にいろいろあってと想像します。

そんな父と結婚した母は、野蛮ではなく真面目な公務員でしたが、教養のなさは父を遥かに凌駕。祖母は母を見下すし、母は祖母に対する嫉妬とコンプレックス丸出しで、反動で一層「教養」「文化」を敵視して、センスのかけらもないのに我を通したがるので、父に比べれば相当マシですがあまり親しくしたいとは思えない人でした。ろくに働かず社会性ゼロの父を、身を粉にして養う毎日では、教養など身につける暇もなかったとは思いますが。

でも、両夫婦とも、生物学的には最高のオスメスだったんでしょうかね?確かにその子孫である私は先天的疾患はなく、肉体的には健康体で生まれました。しかし、生育環境によって後天的に精神的な障害をだいぶ背負った限りです。「テロメア・エフェクト」等の遺伝子に関する最新の書籍を紐解くと、精神疾患ふくむ病気というものは、疾患の素養ある遺伝子を持ってるかいないかに加え、後天的にスイッチが入るような出来事があるかどうかで決まる部分が相当あると勉強しました。

だから、優生学的にいうと(古いし差別用語かも?)、恋愛結婚して生まれた子供を恋愛脳の親から引き離して、教育のプロが育てるのがベストしれませんね。でも、日本は親の権利が不当に強いから、それは難しい。だったら、人間としての相性のよい男女が一緒に暮らし、托卵を公認すればいいんでしょうか?うーん、わからない。
ギャラリー
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