雨のち晴れ〜毒親→モラハラ→離婚→現在

刑事罰を受けて開き直るレベルの毒親の顔色を見ながら育った結果、20代半ばでモラハラ夫と結婚・離婚。不幸を生む人間関係を断舎離し、30代半ばで再婚した人のものの見方の変遷。

2013年01月

AC自助サークルに行くのを止めた理由

ゲームの貸し借りで気づく、機能不全家庭のカラクリ(誰が取ったアイテム?)

ゲームをやっていて、機能不全家庭のからくりについて考えました。

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私たちは夫婦でドラクエをやっています。
夫婦別々にアカウントを持ち、それぞれのキャラクターで
プレイしているのですが、
あるときから、夫に頼まれて、自分のアカウントを貸しました。

簡単にいうと、夫と私がゲーム中で違う選択肢を選んでいて
夫のアカウントでは出来ないけど私のアカウントでは出来る
というシナリオがあったからです。

夫は自分のアカウントから
(ドラクエ世界の)お金をわたしのアカウントに移動し、
色々なアイテムを買って、私のキャラクターを使って
プレイをしました。
私もそれを横で見て楽しんだりもしていました。

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なんてことない、と思って見ていたのですが
いざ、自分がそのアカウントに入ってプレイしようとすると
驚きました、やる気が半減していたのです。

私のキャラクターの状態としては 

・所持金が増えている
・アイテムも増えている

という状態だったにも関わらず、です。

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何が嫌だったかというと
 
・どこに何のアイテムがあったかわからない
・夫の買ったアイテムと自分の買ったアイテムの区別がつかない
 (夫は返却不要と言っている)

ことでした。

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毒親に人生を占拠されてるというのはこういうことかなと
思いました。

自分のアカウントで、親という別のプレイヤーが勝手にプレイしてしまい、
自分の中で、親のアイテムと自分のアイテムがぐちゃぐちゃ。
そんな状態が慢性化して、結果

どれが親のアイテムで、どれが自分のアイテムか、わからない。
=どの価値観が親の価値観で、自分の価値観か、わからない。

自分のアカウントって感じじゃなくなって、やる気がなくなる。
=自分の人生って感じじゃなくなって、人生にやる気がなくなる。

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どうやったらこのゲームにやる気を取り戻せるだろう?と考えてしました。
すると一番の近道は

・夫が取ったアイテムを全部返す
・または別場所に置くなどして自分で分かる状態にしておく

でした。

これを毒親と人生の関係に置き換えると、
自分の中に内包されている
親の価値観と自分の価値観を切り離せればいい

ということだと思いました。

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最近、何か思うたびに自問自答してます。
「それは、親が思ったの?私が思ったの?」と。

大概「親が思った」となるので、
すると「じゃあ自分は本当はどう思うの?」と聞き返します。
すると、大概違っていて
自分が思ったようにすれば、うまくいきます。
夫との関係も。

カウンセラーの卵さんと

これまで私はずっと、
カウンセラーさんに、一方的にケアしてもらう関係でした。

しかし今、ちょっとだけですが状況が変わってきて
現在、カウンセラーの卵の方とお話しています。

最初は
「カウンセラーの卵の人だと何度でも無料だから…」
というケチくっさい動機でしたが
結果として、すごく良かったと思っています。

理由は、相手から一方的に保護されるのではなく
自分が相手の役に立っている(と思う)からです。

カウンセラーの卵さんですので、
プロと認められたカウンセラーさんよりも、
正直、ちょっとなあと思うシーンがあるのも確かですが
(あっ今うろたえた、とか、今のマニュアルトークだ、とか、なんか分かってしまう)

でもそれがかえって、今の私にとっては良いのです。

今までは「カウンセラーにカウンセリングしてもらっている」という
受身的な感覚だけだったのが、
カウンセラーになりたい人の成長に貢献できている、という
能動的な感覚が加わって、
自分に抱いていた無価値観が救われるというか、
社会への貢献欲求が満たされるような気がするのです。

カウンセラーさんが成長して
私も嬉しい、そんな感覚です。

なんていうか
カウンセリング中は泣いてばっかなのに偉そうにって
自分でも思いますが…。

自分の心は騙せない「この感情は、嫉妬ではない」

以前読んだ本に、嫉妬とは
本心を隠す仮面
自分に合っていると思いながら怖くて手を伸ばせないものを、
他人がやすやすと手に入れていることへのいらだちであると
書かれていた。

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前述のとおり私は、ある友人が子供を作ったことがきっかけとなって、
この人ともうやっていけないと思ってしまい、絶縁した。

私は、その友人に嫉妬してるんだと思ってた。
私が子供欲しいけど、ちゃんと育てられる基盤が整うまでって我慢してるのに 
基盤がまだなのに子供を持った友人に嫉妬しているんだ、って。

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でも、この考え方は私の考え方じゃない。
きっと母親にとって正しい考え方だ。

母親にとって、

結婚している自分=勝ち組 
子供が居る自分=勝ち組

どんなに社会的に成功していても、どんなに輝いていても
結婚してなければ「いつ結婚するんですか?」と上から目線で質問。
子供が居なければ「子供は?」と上から目線で質問。

そんな母親がすごく嫌だったじゃないか。
私はそんなこと全然思わないじゃないか。

なのに、自分がそう思ってるんだと思ってた。
不思議だ、
機能不全家庭の思考の癒着は恐ろしい。

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私は友人に対して嫉妬なんかしてない。

機能不全家庭を自覚も解決もしないまま
負の連鎖に子供を巻き込み始めている友人を
心底軽蔑している位だ。

嫉妬してるわけ無いじゃないか。
羨ましいと思う要素がないもの。

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母親のような感性なら、嫉妬と思うかもしれない。
けどそんな人とは一緒に居られない

後先関係ない無責任な人間だということが分かって
距離を置きたくなった。それだけだ。

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自分の気持を 自分で理解するって すごく大事だと思った。
本当に すっきりした。

今まで、その友人にどう接していいか分からなかったけど
もう どうしたらいいか 分かった。

もう、袂を分かつ以外、ない。
しかも、話しても、通じない。
分かってもらおうと 思わない。

今までは、分かってもらおうとしていた。

しかし、分かるはずないってことに気づいたし
分かる気もないってことに気づいたし
分かってもらえなくても私は平気だと分かった。

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そう思えたのは、自分が自分を理解し信頼しているという実感を
生まれて初めて得られたからだと思っている。

自分が自分を正しく理解していればそれだけで良かった。

乙武氏の指摘する「目に見えない障害」

乙武氏が、twitterで親を恨んだことがあるかと聞かれ
ないと言い切って、「良い親に育てられてうらやましい」と言われていた。

乙武氏の弁があまりに素晴らしかったので
以下抜粋します。

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昨夜、フォロワーさんから「親を恨んだことはあるか?」と聞かれ、「一度もない。感謝しかない」と答えると、今度は別の方から「それはウソだ。一度くらいあるだろ」と来た。僕の心情や思考が理解できない――と感じるのは自由だけど、自分の心情や思考を絶対基準として、相手に強制しないでほしいな。

「すべての人が親を恨むべきでない」「どんな親でも感謝しろ」なんて、僕はひとことも言っていない。ただ、「僕は感謝している」とみずからの心情をつづっただけ。なのに、「つらい境遇に育った自分は、いまでも親を恨んでる(もしくは、恨んでいた時期がある)んだから、おまえも恨め」と言うのかい? 

でも、先ほどの方が言っていた「親たる資格のない人間」のもとに生まれた子のケアは、非常に重要なことだと思っています。僕が小学校教員退職後、「まちの保育園」立ち上げ&運営に関わっているのも、そうした考えから。そうした人々の生きづらさを少しでも解消していくことは、社会の大きな課題。 

でもね、「親たる資格」って何だろうね。完璧な人間なんて、いないからさ。僕だって、二児の父として、十分にやれているかは自信がない。みんな親として「足りていない」ことを自覚し、祖父母や、友人や、地域がそこを埋めていけるといいよね。そうして親の至らなさを恨む子が減っていったらいいな。 

1.さっきからの流れからか、「乙武さんがうらやましい」というリプが後を絶たない。手足があっても、つらい境遇で育ってきた人、いまでも苦しんでいる人が、たくさんいるんだよね。それにしても、すごいことだよね。手足のない身体障害者が、他人様から「うらやましい」と言われる日が来るなんて。 

2.僕を否定したがる人は、「でも、おまえは○○に恵まれている」と言う。もちろん、それは実感している。とても恵まれていると思う。だけど、これまでの社会では、どんな「でも」を積み重ねたって、「手足のない身体障害者」は不幸な存在とされてきた。どんなプラスを積み重ねても、覆せなかった。 

3.それが、いまこうして「乙武さんがうらやましい」と口にする方が多くいる。乙武洋匡という立場を離れ、客観的に見たとき、これは画期的なことだと思う。ただ、どうしても言っておきたいのは、これは僕が頑張ったからという努力の話ではないということ。あくまで、僕を育てた両親が素晴らしいのだ。 

4.日本は、新たなステージを迎えたのかもしれない。僕のような「目に見える」障害者への理解はずいぶんと進んだ。次は、「見えにくい」障害に対する理解や配慮だ。精神障害や発達障害など、理解されずに苦しんでいる人が多くいる。同性愛や性同一性障害など、少数派であることで苦しむ人々もいる。 

5.稀有な感性を持った両親に育てられ、いまこうして満たされた人生を送れているからこそ、今度はこうした人々に対する理解を深め、多様性を認めることのできる寛容な社会の構築に少しでも尽力していきたい。それが、少なからず育ててくれた両親への恩返しにもなると思うから。長文、失礼しました。了  

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感動した。 

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