雨のち晴れ〜毒親→モラハラ→離婚→現在

刑事罰を受けて開き直るレベルの毒親の顔色を見ながら育った結果、20代半ばでモラハラ夫と結婚・離婚。不幸を生む人間関係を断舎離し、30代半ばで再婚した人のものの見方の変遷。

2012年10月

電話カウンセリング3回目メモ

今までの自分の勘違いに気づいた。

【私の思いへのカウンセラーの反証】
→:カウンセラーの指摘

・犠牲=愛情だと思っていた。
→ちがう。
→無理してれば相手は気づいて不快になるだけ。

・自分の意志で選択したことが無い
→だから、選択する時相手がどれほど考えたかを理解していない。
 だから、自分が選ばれたことに対して自信が持てない。

・いつも親の言いなりになっていた
→本当に言いなりか?
  今成長したあなただからそう思えるだけ
  その時の自分の年齢・経験・環境の中でベストと思われる「親の期待寄りの」選択を自分でしたのでは?

・相手が傷つくことを恐れて本音を隠していた
→それは相手への信頼がない
 信頼があれば、一旦暴れても、もとに戻る。

【まとめ】
・自分を守ってきたのを、相手に思いやりという次元に
・相手の行動に、自分に対しての否定的な意味付けをする癖を止める。
 すぐには無理かもしれないけど、認められてるから
 やりそうになったらすぐ止められるように。
・責任の所在を意識する。

【宿題】
・思考を整理する
 どういう事実を、どう意味付けして捉えてきたか

・受け取ってくれなくても相手を責めない
 相手に今まで散々我慢させたんだから、出来るでしょう 


===

特に重大な発見だったのが、
「自分は犠牲になっています、楽しんでいません、本意でないことをしています」というポーズを取れば
相手が喜んだり、納得したりする、許してくれる、と、ずっと思っていたことに
気づけたことです。

私の育った家の人々はそういう嫌な性格で、
深く考えないから疑問も持ってないかもしれないし、当然治す気もなさそう。
だけど私はそうじゃないんだ、という切り離しができました。 

ずっと子供がほしいと思っていて、もし子供ができて
私のせいで子供が嫌な思いをしていたら?というふうに考えると、とても辛くて。

親は根本的に子の幸せを願っていたはず(自分が親の立場になることを想定して想像)。
但しそれを上回る自己愛とごまかしに満ちた、矮小で不幸な人だっただけなんだ。
だから、親の言うことを真に受けるだけ損だ。


というふうに考えに至り、謎がとけました。 
よく「親に愛されなかった自分を認める」っていう言い方されてて
私はどうしてもそれが認められませんでした。
でも、上記の考え方だとしっくりきました。 
しっくりくる表現は人によって違うんだろうなと思います。

人間の脳の進化から…「苦しいときほど歩きなさい」

夫と同じ歯医者さんに通っていて、今日は定期健診に行った。

歯磨きが下手くそ過ぎて、衛生師さんからフロスの使い方を厳重指導された。
質問するとウザがられると勝手に思ってたけど、
使い方が正直全然分からないので、思い切って沢山聞いてみたら
すごく丁寧に教えてくれた。

また勝手な思い込みで視界を歪めていた。

===

歯医者の先生には、たまに夫婦の悩みを相談している。

夫の様子はどうかと言われたので、
仕事で鬱になって永らく口聞いてない、と話した。

すると、こう言われた。

  苦しい時ほど歩きなさい。

 夫もあなたも、ちゃんと身体を動かしてるか?

 人間の脳の構造は、魚類・爬虫類の動くための脳があって、
 その上に思考のための人間の脳がある、と、分かれている。

 上っ面の人間の脳だけ使うからおかしくなる。
 もともと食べるために生きてた。
 食べ物をとるために動いていた。
 魚類の脳と爬虫類の脳をちゃんと使う、身体を動かすこと。

 散歩にでも誘いなよ、弁当持ってさ。

 「あなたのために」って言われると怒るだろうから
 「つきあって」っていう形にするんだぞ。  

 そもそも社会に向いてるニンゲンと向いてないニンゲンがいる。
 自分は向いてないニンゲンだったから、手に職をつけなさいって言われて
 今たまたま こうやって ある程度成功してるけど

 自分も開業するときは自信なんて無かった。
 借金も抱えて不安だった。

 覚悟するまでが大変だ。

 
 ===

義母といい、先生といい、
こんなにも私たち夫婦のことを考えてくれる人がいる。
また涙が出た。

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四柱推命の「傷官」?夫を傷つける星

義実家に行って、義母と話をした。

義実家に帰ってきた日の夫は、会社のことで自信を喪失し、
疑心暗鬼になって、私のことどころではない
ようだった、みたいだ。

会社がいかに酷いかを、無限ループで話していて
あんな状態になった息子を見たのは初めてだと言っていた。

ちょっとかわいそうになった。
夫が小さく見えた。
あまり怖くなくなった。

義母がいなかったら、大きな夫を怖がる日々が続いていたと思う。
本当に感謝だ。
 
===

ちなみに、義父は、ホンモノのアル中DVだったらしい。

義母から、ホンモノの人の話を聞いて
夫との共通点と、異なる点を考えたりした。

そして、夫をホンモノのDVにしてはいけないと思った。
多分私の応対次第ではホンモノのDVになれる素質は十二分に持っているのだと思った。
それを阻止するのも私次第かなって思い始めて、
そうしないためになんとかしようと思った。

そう思えるようになったのは、義母が私の感情を受け止めてくれたからでもある
本当に感謝。

===

それと、四柱推命というもので自分を占ってみて、
家族運が最悪で、特に夫を傷つける「傷官」だと分かったのも大きかった。

そんな星の下に生まれたなんて、そんな残酷な…という絶望の次に

私の行動が夫を傷つけたかもしれない。
こんな私と結婚してくれた夫に感謝したい。

という、謙虚な気持ちが生まれたの、不思議。

===

義実家からの帰りは深夜になった。
帰り道無性にラーメンが食べたくなったけど、高いので店には入らず
コンビニで100円のカップラーメンを食べて帰った。 

妊娠を予定してた頃は本当食べ物にも気を使ってたけど
もう夫がこんな様子じゃ無理だから破れかぶれだ。

放射能でもなんでも食べてしまえ!

なんだろう、最近は夫の影響で良い食べ物ばっかり食べてたけど
産地見たり、有機かどうか探したり、ということに疲れてしまってた気もする。 

私の意思以上にやり過ぎてた?
それとも、ただ他のこととの組み合わせで疲れただけ?

そう思いながらも
私って元々はこういう生活がお似合いだったよなーと思い出す。
こっちのほうが気楽でいいのかなー?
それとも、たまにはこういうのがいいってだけなのかなー?

「本当は私ってどうしたいんだっけー?」

分からなくなってきた。
迷路にはまる。

===

上向きになりつつありながらも、
ちょっと投げやりにもなる
まだまだ不安定…。

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今日も福祉事務所に行って来た

今日は某仕事の説明会の帰りに
福祉事務所でお話を聞いてもらった。

食事に困っていると話したら、カンパンをくれた。
心から、ありがたかった。

夜は業務スーパーに行った。
共働きだった頃や、夫が会社で働いてた頃は、
高級スーパーしか行かなかったけど
今は10円でも安い牛乳を買い求めて
遠くの業務スーパーまで行くようになった。

今日進歩したことがある。
今日もまた、夫から嫌がらせともとれることをされたけど、
事実として受け止めるだけで、意図を邪推しないことにした。

今日読んだ本<ほんとうの自分>のつくり方にこんなことが書いてあった。

 「論証的思考と物語的思考」 抜粋
 論証的思考とは、あることがらが真実であることを、
 論理的という意味での形式的な説得力を武器として証明しようとするものである、
 これに対して、物語的思考とは、あることがらが真実であることを、
 迫真性というものを武器にして納得させようとするものである。
 そこでは、論理的に正しいか正しくないかでなく、
 つながりのよい筋の流れ、興味を引く話の展開、心を動かす話の筋立て、
 信ぴょう性のある説明のしかた
が重視される。
 物語ることの上手な人は、論理的な整合性とは関係なく、共感を得る説得力を持っているものだ。
 正解を追求する論証的思考に対して、物語的思考は、よいストーリー性を追求する。

私はストーリー性をもたせるのがうまいと思う。
ということを間接的に友人から指摘されたばかりだった。

線がひとつにつながった。

だから、 「夫が私に害悪を加えようとしている」というストーリーを一旦設定したら
それに説得力を持たせるように事実を関連付ける技術に優れていると思う。

それが真実であるかどうかは関係なく。

だから、一個一個を淡々と事象として捉え
努めて感情や意味を見出さないようにした。
そしたら少し楽になった。

後で足元をすくわれるのかもしれないけど
起こるかどうか分からない不安への対策として
何も今不安になる必要はない。

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2件セミナーに行ってきました(2) 「世間の枠」と私らしさ

~「世間の枠」と私らしさ~メモ

注)オレンジ色は私の独り言です。 

■完璧主義、あら探しの達人である相手に対し
 相手が完璧を求めてきても、頑張った自分を認められるように
  →むずかしいなー それどうやるの?

■同情と共感はちがう

 【 同情】
 ・伝え手の見下しが入る。目的は、伝え手が自分が不幸でないことを確認するところにあったりする
  ・相手を「不幸」とすることで
   ・「不幸」を自分から切り離す
   ・ 自分が不幸でないと安心できる
   ・相手に不幸を恥じる二次被害が生まれる 
 →うんうん、うちの母親がそうやって独身や子なしを見下してたわー

 【共感】
 ・被害にあった=不幸 という発想にならない 

■同情された時の対応策

 ・「どうしてかわいそうだと思うの?」と聞き返す
 ・その場を立ち去る
 ・心のなかで「この人【縁がちゃー(エンガチョ的な)】なんだなぁと思う
 ・この人は他人を見下すことによって安定を保ってるんだなと思う
 ・「私はランキングしない」と思う

■マザーテレサ
 博愛でありながら商才もあった人
 →寄付で得た車を宝くじの景品にしてさらにお金を集めた。

マザーテレサにはびっくりでした。
なんでだろう、私、どこかにお金に罪悪感あるのかも…。

さあ、明日もがんばるぞ…。


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ギャラリー
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